今朝の新聞に、興味深い内容の記事が載っていた。それは、イスラエルの共働きでも子だくさんの理由だ。
その答えは、こうだった。そのまま引用する。
まず前提として、イスラエルにおけるユダヤ教の階率を厳密に守る「超正統派」の人たちがおり、「子どもは神の恵み」とする考えに忠実で、5人以上を産み育てることも珍しくない。二つ目にユダヤ人がたどってきた苦難の歴史や国の成り立ちとの関連がある。 約600万人が犠牲になったホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の経験や、イスラエル建国後、対立するアラブ諸国などとの戦火が続いた影響で、「子孫を残すこと」へのこだわりが社会に浸透している。同時に、国民の多くを占める教義にさほど縛られない世俗的な家族でも、子どもの数が多いのが特徴だ。 女性の社会進出が進む一方で、出生率が大きく下がる兆しがない。イスラエル中央統計局の19年の調査では、世俗派のユダヤ人女性の71%が「3人以上の子どもが欲しい」と答えた。そして「子どもがいなければ『なぜ?』と聞かれるし、1人目が生まれれば『2人目はいつ?』と聞かれる。この国では3人以上が普通だから、『普通』になるまで質問をされる」
イスラエルの国の歴史と国民性が鍵のようだ。
さらに続ける。
そして何よりも子育てをしていく上で、家族や親類や近所の友人などのネットワークがうまくいっていることがポイントとなる。その根底には、「文句を言い合える関係性」がある。また、子どもがよい環境の中で育つことが素晴らしい。
イスラエルの家庭では、小さな子どもでも、大人を相手に臆さず異論をぶつける。親は反論し、それにまた子どもが言い返して、自然に議論が盛り上がる。だから「子ども」は大人になっても、親と対等に言葉を交わせる。手助けしてくれる親や知人と育児に対する考え方が違っても「言いたいことは自由に」言い合うから、気詰まりに感じることはないそうだ。
「みんなの手」に支えられ、産みたい人が産める。 さらにこの国では、亡くなった息子から摘出した精子と別の女性の卵子を使って「孫」を得た高齢の母親の例が注目されるなど、望めば誰でも一一たとえ「産めない人」でも、子どもを持てる社会が実現しつつある。
エルサレム在住の記者の文章を引用させて貰ったが、皆様はどのように思われたか?
ただ、最後の一文に不安が過った。 それは、こうだった。
そこに有るのは、果たして「幸福」だけなのか。