思いの丈☆宅配便

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こんな生き方もある

 今朝の朝刊で、こんな生き方もあるんだと認識を新たにしたことが載っていた。

 書き出しは、こうだった。

「夫を亡くした女性と、妻を亡くした男性。失った人への思いを分かち合い、喪の旅をともに生きていくことを選んだ2人がいる」

 女性は、倉田典子さん。ご主人は難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、社会人になっても東大ラグビー部OBとして、都内の地域のチームでプレーを楽しんだ。余命は2年ほど。車椅子になり、話したり呼吸したりする筋肉も衰えていった。11年に東日本大震災が起きると、ラグビー部の同期と被災者に食料を送る活動を始めた。「小さい子どもたちに甘いお菓子を…おいしいものを食べてもらって、少しでも元気になって欲しい!」けれども40歳で亡くなった。

 男性は、小柴卓人さん。奥さんとは、中学の同級生で、26歳で結婚。奥さんがボーカル、卓人さんがドラムでバンドを組んだ。「声が太くて迫力があって、皮のパンツが似合うカッコイイ女性だった」

奥さんは14年1月、初孫の世話をしに子どもの家へ行った。卓人さんが車で迎えに行って自宅に帰った夜、トイレで倒れた。くも膜下出血。未明に病院で逝ってしまった。53歳だった。

 この2人は、伴侶を失った人の死別者が集う会のオフ会で出会った。

 卓人さんは、この会を、カウンセリングを受けようとネットで探すうちに知った。

 典子さんは、SNSで見つけた。

 2人は、お互いの子どもたちと顔合わせの食事をした。子どもたちは、ゲームや音楽の話で盛り上がった。

 典子さんの中学生になった長女は「ママが幸せなら一番いいね」と言ってくれたそうだ。

 17年に都内で暮らし始め、婚姻届は去年。卓人さんは「老後の生活に責任を持ちたい」と考えた。

典子さんの子どもたちは倉田姓を選んだ。家族のLINEの名前は「倉柴家」。亡くなった夫も妻も一緒という思いで。

 仏壇も一緒。お互いの亡くなった妻と夫の写真を並べている。

卓人さんは長女が受験の時、遺影に声をかけた。「真さんと同じ大学を目指しているんだ。しっかり見てやってくれ。こっちの世では俺が見守るから」

 

 卓人さんのこの言葉が、グッと心にきた。

ここまで思えるようになることが素晴らしいと思った。

 

 最後の言葉がいい。

「亡き人の姿はないけれど、思いは残っている。それを大切に受け止めて、いっぱい楽しい話をしよう。この家族で」

 

 皆様は、こんな家族がいることを、どう思われますか?