現在は88歳。92年の定年後も高校野球の実況を続け、98年に、奥さんが他界され、一番の視聴者がいなくなったことで、その年に引退された。
植草さんの実況には、心を元気にされてくれる張りがあったので、未だにお声を記憶している。
書かれていることを読んでいくと、高校野球と共に、ご自身の人生を歩まれてきたことが分かった。
『入社8年目の62年、5月に生まれた娘を7月に亡くした。その夏は、元気にプレーする若者にやきもちをやいた。言葉も感傷的になった。 79年ごろは次男が高校球児だったから、親の気持ちになった。そうやって年数を重ねるうちに、だんだん自然なしゃべりになっていきました。 妻からは言われました。「若い頃はかみそりみたいにシャープだったけど、今のやわらかい感じの方がいい」と。 松井の5敬遠が92年。「勝負しません」を20回言っただけ。若かったら、主張をいれたかもしれません。でも、目の前に起きていることを正確に伝えるのが、アナウンサーの仕事なんです』
奥さんの「かみそりみたいにシャープだった」には、拍手したいくらいに同感で、笑ってしまった。
また、こんなことも書いて下さっている。
『有名選手だけじゃなく、街で会った元球児に「ぼく、植草さんに名前を呼んでもらえたんです。うれしかった」と言ってもらうと冥利に尽きますね』
仕事を通して、人に夢を抱かせることが出来た植草さんのアナウンサー人生は、素敵だ。
とても清々しい気持ちになれた。
それと同時に、もう一度、植草さんの実況を聞きたいと思った。
皆様は、いかがですか。