思いの丈☆宅配便

書いて読んで繋がりませんか!

料理学校を主宰する江上栄子さん

 昨夜、久しぶりに教育テレビの料理番組を見た。

その番組に登場されたのは、東京都内で料理学校を主宰されている江上栄子さん。

江上さんは、料理学校の創始者、故・江上トミさん(お母様)の教えを守り、家庭料理の大切さ、その伝播に尽力されている。

テレビで、私達に、とても素敵な言葉を送ってくださったので、皆様にご紹介したい。

「健康と幸せは、心を込めたお料理から」「お料理は、心を添えると変わってくる」

 

 心を添えるとどう変わってくるかは、皆様のご意見を伺いたい。(笑)

語る 人生の贈りもの オール巨人

 14回続いた上記の連載が、今日、終わった。

 最後の最後に書き綴られたオール巨人さんの相方オール阪神さんに対するコメントがとっても温かくて、こちらまで嬉しい気持ちにさせて貰ったので、ご紹介したい。

 「僕らはまわりに勧められてコンビになりました。恋愛結婚ではなく、見合い結婚です。嫌いになっていった時期もありましたが、長い時間をかけてうまくいくようになったと思います。お互い大人になり、気持ちを察することができるようになったんじゃないかな。 僕には阪神君以上の相方はいません。もういっぺん、いちから漫才をはじめることになっても相方は阪神君。思うように動いてくれへんこともある。でも、本番に強い。たくさんケンカをしてきましたが、かけがえのない存在です。 コンビだから、相方のためにも体調に気をつけないと。大変な分、1人でやるよりは大きくなるんだと思います。笑いが生まれたとき、阪神君も僕もええ気持ち。2人だけの共感があります。 漫才は天職ですよ。僕にとっても、阪神君人間とっても」

 

長年の付き合いで培われた笑いを、これからもまだまだ私達に届けて頂きたいと実感した。

 

皆様は、いかがですか?

 

こんな生き方もある

 今朝の朝刊で、こんな生き方もあるんだと認識を新たにしたことが載っていた。

 書き出しは、こうだった。

「夫を亡くした女性と、妻を亡くした男性。失った人への思いを分かち合い、喪の旅をともに生きていくことを選んだ2人がいる」

 女性は、倉田典子さん。ご主人は難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、社会人になっても東大ラグビー部OBとして、都内の地域のチームでプレーを楽しんだ。余命は2年ほど。車椅子になり、話したり呼吸したりする筋肉も衰えていった。11年に東日本大震災が起きると、ラグビー部の同期と被災者に食料を送る活動を始めた。「小さい子どもたちに甘いお菓子を…おいしいものを食べてもらって、少しでも元気になって欲しい!」けれども40歳で亡くなった。

 男性は、小柴卓人さん。奥さんとは、中学の同級生で、26歳で結婚。奥さんがボーカル、卓人さんがドラムでバンドを組んだ。「声が太くて迫力があって、皮のパンツが似合うカッコイイ女性だった」

奥さんは14年1月、初孫の世話をしに子どもの家へ行った。卓人さんが車で迎えに行って自宅に帰った夜、トイレで倒れた。くも膜下出血。未明に病院で逝ってしまった。53歳だった。

 この2人は、伴侶を失った人の死別者が集う会のオフ会で出会った。

 卓人さんは、この会を、カウンセリングを受けようとネットで探すうちに知った。

 典子さんは、SNSで見つけた。

 2人は、お互いの子どもたちと顔合わせの食事をした。子どもたちは、ゲームや音楽の話で盛り上がった。

 典子さんの中学生になった長女は「ママが幸せなら一番いいね」と言ってくれたそうだ。

 17年に都内で暮らし始め、婚姻届は去年。卓人さんは「老後の生活に責任を持ちたい」と考えた。

典子さんの子どもたちは倉田姓を選んだ。家族のLINEの名前は「倉柴家」。亡くなった夫も妻も一緒という思いで。

 仏壇も一緒。お互いの亡くなった妻と夫の写真を並べている。

卓人さんは長女が受験の時、遺影に声をかけた。「真さんと同じ大学を目指しているんだ。しっかり見てやってくれ。こっちの世では俺が見守るから」

 

 卓人さんのこの言葉が、グッと心にきた。

ここまで思えるようになることが素晴らしいと思った。

 

 最後の言葉がいい。

「亡き人の姿はないけれど、思いは残っている。それを大切に受け止めて、いっぱい楽しい話をしよう。この家族で」

 

 皆様は、こんな家族がいることを、どう思われますか?

 

 

高校野球観戦記

 元朝日放送アナウンサーの植草貞夫さんの観戦記が載っていた。

 現在は88歳。92年の定年後も高校野球の実況を続け、98年に、奥さんが他界され、一番の視聴者がいなくなったことで、その年に引退された。

 植草さんの実況には、心を元気にされてくれる張りがあったので、未だにお声を記憶している。

 書かれていることを読んでいくと、高校野球と共に、ご自身の人生を歩まれてきたことが分かった。

 『入社8年目の62年、5月に生まれた娘を7月に亡くした。その夏は、元気にプレーする若者にやきもちをやいた。言葉も感傷的になった。 79年ごろは次男が高校球児だったから、親の気持ちになった。そうやって年数を重ねるうちに、だんだん自然なしゃべりになっていきました。 妻からは言われました。「若い頃はかみそりみたいにシャープだったけど、今のやわらかい感じの方がいい」と。 松井の5敬遠が92年。「勝負しません」を20回言っただけ。若かったら、主張をいれたかもしれません。でも、目の前に起きていることを正確に伝えるのが、アナウンサーの仕事なんです』

 奥さんの「かみそりみたいにシャープだった」には、拍手したいくらいに同感で、笑ってしまった。

また、こんなことも書いて下さっている。

 『有名選手だけじゃなく、街で会った元球児に「ぼく、植草さんに名前を呼んでもらえたんです。うれしかった」と言ってもらうと冥利に尽きますね』

 仕事を通して、人に夢を抱かせることが出来た植草さんのアナウンサー人生は、素敵だ。

とても清々しい気持ちになれた。

それと同時に、もう一度、植草さんの実況を聞きたいと思った。

 皆様は、いかがですか。

 

 

コロナ重症者1478人過去最多

 上記の見出しを新聞で見て、改めて、基本に戻りたいと思って、調べた。

 緩和チャンネルをYouTubeでアップされている大津秀一医師によると、コロナは、エアロゾル感染と飛沫感染の2つが考えられるという。

エアロゾル感染について、疑問が出たので、詳しく調べた。少しお付き合い頂けると嬉しい。

 エアロゾル感染とは、マイクロ飛沫、エアロゾル、バイオエアロゾルとも呼ばれる空気中を漂う微小粒子の飛沫内に病原体が含まれていて、この微小粒子を介して飛沫することを指している。

 対し、飛沫感染する病原体は飛沫が大きければすぐ落下し、小さければ飛沫から水分が蒸発し乾燥した飛沫核の状態では、多くの菌は乾燥に弱いので乾くと感染リスクは低減する。

 今回の新型コロナウイルスでは、感染するが空気感染はしないであろうとされているが、飛沫より小さい、5um以下のエアロゾルにもウイルスが存在している可能性が考えられる。しかし、人が密集していたり、湿気がこもっていたり、換気が悪く風通しの悪いような密閉環境では、ウイルスが潜むエアロゾルは水分を保ち感染力を保った状態で、長時間空中を漂い続けるのではないかと言われている。(電車に乗っていると車内アナウンスで「換気をしております」と言われた意味もここにあったことが分かる)

また、そもそも、密集•密閉した環境で密接のいわゆる三密状態では、飛沫感染をするリスクが高く、さらに湿気が高い室内でエアロゾル(マイクロ飛沫)が漂いやすい環境では、これを口から吸い込むことにより感染する可能性があり、三密状態でクラスター(小規模な集団発生)の大きな原因とも言われ始めたのが、エアロゾル感染(マイクロ飛沫感染)だ。

 このように、エアロゾル感染と飛沫感染について調べていくと、改めて、以下の基本事項の徹底が望まれる。

 ❶マスクは、鼻と口を覆い、隙間をなくす

 ❷手洗いを徹底する。爪は短く切り、時計•指輪を外して手を洗う。(流水でよく手を濡らして、石鹸をつけ、こする➡︎手の甲を伸ばすようにこする➡︎指先、爪の間を念入りにこする➡︎指の間をこする➡︎親指と手の平を捻り洗いする➡︎手首を忘れずに洗う➡︎十分水で流す➡︎清潔なタオルやペーパータオルでよく拭きとって乾かす)

 ❸三密(密閉•密接•密集)を禁止

 ❹5場面を禁止(☆飲酒を伴う懇親会等☆大人数や長時間におよぶ飲食☆マスクなしでの会話☆狭い空間での共同生活☆居場所の切り替わり)

 ❺コロナ予防注射2回の接種

 

皆様、どうぞよろしくお願いします。

星野仙一さんの言葉

 朝刊に、故星野仙一さんの2005年8月6日の高校野球観戦記が載っていた。

その最後の纏めの言葉がグッときたので、ご紹介する。

 「高校、大学、社会人、プロ。自分の利益だけを考えるのではなく、一つになって盛り上げていかないと。我々野球に携わる者の責任だね。みんな高校野球の卒業生なんだから」

 皆様は、お読みになって、いかがでしたか。

思い出の高校野球になると嬉しいですね。

高校野球開幕試合で、始球式

 2021年8月10日、全国高校野球選手権大会乃開幕試合で、昨年高3生だった2人が、始球式を務めた。

 始球式でバッテリーを組んだのは、関西医科大学医学部1年の吉田裕翔さん(19)と大阪大学医学部1年の嘉村太志さん(19)。2人は共に甲子園球場がある兵庫県西宮市乃甲陽学院で野球部員だった。

 主将だった吉田さんは、小学3年で野球を始めた。子供の頃から夏の選手権大会は、甲子園に続く晴れの舞台で、高校生になると憧れた。しかしその時は来ず、大会がなくなった時は呆然とした。

 チームメイトで遊撃手だった嘉村さんは、新型コロナの影響で練習が出来なくなり、将来の進路について考える時間が増えた。技術者か医者のるどちらを目指すかで迷っていたが、コロナに立ち向かう最前線の医療現場を報道で知り、「医者に対する価値観が変わった」と言う。「人に必要とされ、人を助けられる職業に就きたい」

兵庫県の独自大会が終わると、1日に約10時間勉強し、現役で医学部に合格した。

 吉田さんは「小学生の頃からずっと甲子園を目指してきた人は、自分よりもっとしんどい思いをしたはず、彼らに納得して貰えるような投球をしたい」と話した。

 嘉村さんは「昨年甲子園に出られなかった世代の人の思いとコロナ禍で医療現場に立つ人への感謝の気持ちを込めて臨みたい」と意気込んだ。

 2人とも緊張していて、ワンバウンドとなったが、清々しい始球式を見せてくれた。

懸命なる努力をしてなりたくてもなれない医者になれるチャンスを掴んだ今、勉強に励まれ、必要とされる医師になってください。心より、祈り、応援しています。