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英語力は褒めて伸ばすの行正り香さん

日曜日の朝日新聞の輝く人に出てたのは、料理研究家行正り香さん。

お料理で有名な彼女だが、今回は、英語力を伸ばすことにも大いに活躍されていることを知った。

   彼女は、米国の短大に進み、先生に言われたことを素直に受け取って勉強して、好成績をおさめて、カリフォルニア大学バークリー校の編入試験に合格。

帰国後、電通に入り、CMプロデューサーとして外国人タレントの出演交渉などをしながら、料理本を書くようになった。

   さて、彼女のプロフィールで、気になったのは、ここ。先生に言われたことを素直に受け取って勉強して、好成績をおさめて。

  どうしたの?って興味溢れてきた。

高校時代の成績は「下から数えて一桁」の順位。でも、掃除の時間にABBAの「ダンシング・クイーン」を歌っていると、先生から「テストも文法も駄目だけれど、発音はいいわね」と言われた。

この、いいと言われた発音を頑張った。

また、本業のお料理にしても、留学時、受け入れ家族と自身の6人分の食事を用意していたら、ポテトスープをつくった時に、「君は料理の才能がある」と絶賛されたそう。

  そう、彼女は、褒められたことをステップとして大きく飛躍している。

   改めて、褒めることの大切さを実感。

まずは、他人との関わり方において、その人のどんな小さなことでもいいから、褒めて、気持ちよくさせて自信を付けてあげたいと思った。

  ぜひともご興味のある方は、行正り香さんの音声教材「カラオケEnglish」などをご覧下さい。

   私自身は、料理研究家の彼女が、英語と料理を言葉にされてたことに大きく頷いたので、ご紹介したい。

   「英語を学ぶことはパスタづくりに似ている。どんなパスタも2〜3人前なら2リットルの水に塩を大さじ2杯入れてゆでるのが基本で、そこに具材をアレンジする。英語も主語と動詞の基本に、ことばをアレンジして文章をつくる」

   彼女の言葉を頂いて、英語に挑戦してみようかな。

と思った。

皆さまは、いかがですか。

二学期から学校に行きやすくなる方法

題目の為に、新聞が、各界の芸能人からのコメントを貰っている。

今回は、タレントの中川翔子さんと俳優・歌手の井ノ原快彦さん。

お二人ともに、行きたくない気持ちを受け止めて、長い目でのアドバイスを下さっている。

私も同感したので、ご紹介したい。

まずは、中川翔子さんから。

彼女は、「いじめられている側にも問題がある」と言う人がいるが、それは絶対にないと書いた。そして、いじめている側が100%悪いと断言した。

最後に、ひとりひとりが、悪口や陰口を「ここで止める」という意思をもって行動できれば、いじめはきっと止められる。いじめを連鎖させないということは、誰もができる小さな抵抗だと思う、で締めくくってくれた。

心より同感し、拍手を送り、そうなってくれることを望みたい。

次に、井ノ原快彦さんのサブタイトルには、今でなくても学校行ける、とあった。

彼は皆さんご存知のV6のメンバーであり、最近はテレビドラマや舞台での活躍が光っている。

彼は、12歳でジャニーズに入って、歌やお芝居をもっとやりたくなって高校中退したそうだ。これは芸能人ならよくある話。

でも彼の凄い所は、二十代後半になって、勉強したいと思って、通信制高校に入り直したことだ。

仕事が終わってから寝ないでリポートを書いたり、10歳くらい下なら友達が出来たり、勉強するということを楽しんだ。

最後のまとめに書かれている文章が温かい。

勉強って、学校でするものとは限らない、社会でも出来る。僕は学校で学んだ以上のものをジャニーズで学んだ。学生時代に無視されて嫌だった経験から、人を無視することは絶対にせずに、言いにくいことでも言うようになった。

 

お二人のコラムは、「学校は、必ず休まずに行かなければならない!」なんて断言も囲いもない。

中川さんは、はっきりといじめる側が悪いと言い切られ、井ノ原さんは、行きたい時に自分から学びを求めればいいとされた。

 

長い夏休み明けは、気が重い人も多い筈。

ちょっと深呼吸して、自分を追い詰めないで欲しい。

あなたと同じような気が重い人は、同じ重いの人と愚痴っても構わない。毎日少しずつ、軽くしていこう。

そして、元気な人は、重い人の話に入って、聞いてあげるだけで、あなたの元気パワーがいずれ、伝線していく筈。

学校は、社会に出る前の、一つの社会。

ここでの予行演習が、いずれの晴れ舞台で発揮され時がくる。

井ノ原さんのように、苦い思い出は、逆に、それのない社会へと繋げてほしい。

 

 

ひきこもりのリアル

副題は、「親の死後  僕、どうなるんや」

 

今朝、この題目を読んで、正しく令和問題だと実感した。

   支援団体に相談を決意した44歳の近畿地方に住む男性は、川崎市の20人殺傷事件を報じるインターネットのニュースに釘付けになった。

 

職に就かず、約20年ひきこもり、親の年金で暮らしている。両親は70代後半。「容疑者団体重なる部分を感じた」という。

 

進学校の高校に進んだが、心が傷つくのが嫌で、鬱な感じが続いた。そして、京都大学に現役合格した時に、燃え尽きた。

大学には4年間、ほぼ行かず、1〜2年目はゲームに、3〜4年目はガソリンスタンドのバイトに、現実逃避。

バイト先の同僚と気が合い、久しぶりに出来た友達に、生きる力が回復。

5年目から大学に懸命に通ったが、単位を取り切れずに退学した。

それは「取り返しのつかない人生の大きな失敗だった」

大学4年時に山ほど来た就職案内は、5年目には激減していた。

「中退で、どこが雇ってくれんねん」で就活を諦めて、自宅にひきこもってしまった。

「今から思えば、もうちょっと学校に相談するとか、鬱を医者に相談するとかすれはよかったんですけど、そういう社会的な知恵もなくて放置していまった」

 

 

綴られた文章とご本人の呟きを読んで、タイミングの大切さを痛感する。

父親も当初は「働け」「出て行け」と言っていたそうだから、十分に親の役目は果たされている。

母親は、洗濯や洗い物をしているとあるが、果たしてその必要はあるのか?

しかし、支援団体に相談を決意した理由は、この母親への想いからきている。

 

 

最後のご本人の呟きが胸に刺さる。

「愛情を持って僕を育ててくれた。母が亡くなる前に『ちゃんと社会に戻れたよ』というところは、何とか見せたい。…」

 

どんな仕事だっていい。

警備員だって、ガソリンスタンドだっていい。

44歳、まだまだ、働ける所はある。

まずは、一日、そして一週間、二週間、三週間、そして一ヶ月。

もらったお金で、お母さんとご飯を食べに行って欲しい。

辞めずに、続けて、お母さんを安心させて欲しい。

 

 

まずは、「よく、支援団体に相談されましたね」とその勇気に心から拍手をさせて貰いたい。

竹内由恵さんハイスクールラプソディー

朝日新聞のEduAを読んだ。

 

書かれていたのは、テレビ朝日のアナウンサーである竹内由恵さんのハイスクールラプソディー。

 

内容は、帰国子女として高校1年から帰国してからの高校生活で勉強についていくことの大変さ。

一つ一つ努力を重ねて勝ち取った大学合格とアナウンサーになられた経緯。

彼女のコツコツさに、清々しさを感じた。

それと、彼女は、ご自分に合った東京学芸大学附属高等学校との出会いが良かったということ。

受験生活の中での、お母様の夕食が楽しみであったこと(オムライスにケチャップでハートマークで、愛されているなと幸せな気持ちになった)の話は、親近感が湧いてきた。

 

最後に、「高校時代、一番夢中になったことはなんですか?」の質問の答えに、嬉しくなった。

 

その答えは「勉強です。期末テストでいい点をとりたい、というのが私の目標でした」

 

改めて再確認出来た。

 

私達は、つい大きなことを目標にしてしまう。

が、身近な出来そうな所に目を向けて目標を立てることが、イチローのように、とんでもないところに辿りつけることなのだと分かった。

人生は、遠回りしてこそ

今朝の「ひと」に、ぐっときた。

忘れてしまった大切なことを教えて貰った。

その内容は、国籍法規定の違憲訴訟を担う弁護士、仲 晃生さん。

彼の経歴が面白い。

弁護士だった祖父の「自由な感じ」に憧れ、法曹を目指して京都大学法学部へ。だが勉強に疑問を持ち、学園祭の仲間とマージャンに明け暮れ、卒業後はフリーターに。畑でレタスを作り、居酒屋でアルバイト、ビジネス書の編集もした。

転機は20年前。南米旅行を思い立ち、日経ブラジル人が多い滋賀のポルトガル語教室に通った。

その子どもたちにボランティアで日本語を教えることになり驚いたそう。

偏見にさらされ、学校にも居場所がなく、退学して働く子が珍しくない。「法知識を身につけて支えてたげたい」

10年余り勉強し、京都で弁護士になったのは47歳。

普通なら、こんなに時が掛かかると諦めてしまう。

やはり、本来の気質、いや素質かもしれない。

 

本当なら、勉強に疑問も持たずに進めば、すんなり弁護士になれていたはず。

神さまは、彼に、遠回りをさせた。

それが彼にとって、どうだったのか?

それは、彼の言葉にあった。

「ずいぶん遠回りしました。だけど、それでよかった」

 

私達が、誕生前に、神さまから与えられた天職はあるはず。

仲晃生さんの遠回りでも、なられた現実を読ませて貰って、気がついた。

彼の10年余りに敬意を払って、「これからが本当の貴方の人生が始まりましたね」と激励させて貰いたい。

 

 

 

 

塾が教えない中学受験必笑法

思わず読んでしまった。

教育ジャーナリストのおおたとしまささんのコラム。

 

サブタイトルが、結果を受け入れるたくましさが身に付けば 受験は大成功。

 

「第一志望に合格できるのはおよそ3人に1人。それが中学受験の現実です。しかし、人生が勝ち負けでは語れないのと同様に、中学受験から得られるものは、勝ち負けだけでは語れません。

   ある男の子は入試本番前から『僕が行けばどんな学校だって楽しくなるよ!』と言っていました。『自分が精いっぱいやった結果ならどんな結果でも潔く受け入れる』というたくましさを、中学受験勉強を通して身に付けたです。いま彼は、第3志望だった学校に堂々と通っています。

   中学受験に『必勝法』はありませんが、『必笑法』ならあるのです。」

 

正直、この彼のような子は、あまりいない。

逆に、腐ってしまって、先の中学生活すら、危うくなる子は、たくさんいる。

 

このコラムは、シリーズということなので、

大いに必笑法を読ませて頂き、たくさんの泣いた中学受験親子を力づけてあげて欲しいと期待したい。

 

 

医師としてあの病棟に戻る

がんとともに、を読んだ。

 

小児がんの経験を生かし、治療を受ける子どもと家族を支えたら一。

そんな気持ちで医師をめざした女性が、かつて患者として治療を受けた長崎大学病院の小児病棟で働いている」

   吸い込まれるように読んだ。

佐々口さんは、中学二年生だった13年前の冬、この病棟に入院。悪性リンパ腫の治療を受けた。高校受験を一年後に控え、将来への不安が膨らんだが、毎日病室に来て世話をしてくれる母親には、うまく伝えられなかったそうだ。

そんな時、同室の女の子の母親が、自分の母親に話している言葉に気持ちが軽くなった。

「娘が今をしっかり生きてくれればそれでいい。誰だって未来は分からないのだから、何十年も先を不安に思って泣くのをやめたの」

 

佐々口さんが、この母親の話を聞けたことが、今の彼女にしっかりと繋がったことを知った。

直接的な言葉よりも、客観的な言葉は、響く。

いわゆる経験談は、間接語りや文字で読めることが残る。

特に間接語りは、頭に残り易い。

それは彼女が証明してくれた。

 

人の一生は、僅かである。

だからこそ、こんな杞憂な経験を、どうぞ神様出来る限り沢山与えてください、と思う。

 

彼女は、約4カ月で退院し、体力が回復し、高校では登山部に入った。

3年生で進路を決める際に、あのお母さんの言葉と共に、当時の主治医に「君は貴重な経験をしているんだよ」と言われた記憶もよみがえったそうだ。

 

昨春、研修医を終えた佐々口さんは、長崎大病院で小児科医としての一歩を踏み出した。

かつての主治医と一緒に働けることが嬉しかったそうだ。

これは、神様からのにくいプレゼントだと思った。

それまで一生懸命に生きて、勉強したことへの頑張ったねのご褒美かな。

しかし、ここからが正念場だ。

彼女は、春からは県内の総合病院の小児科に移り、スキルを磨く。小児がんに関わっていけたらと考えているようだ。

「経験はみな違い、悩みも違うけれど、私のような人間もいることで、少しは不安な気持ちが変わるかもしれない。私が成長しないと」

 

この爽やかな感動を皆さまに、お伝えしたかったので、ご紹介した。