思いの丈☆宅配便

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大竹しのぶ、まあいいかで涙

 我がブログには、大竹しのぶの まあいいかがよく登場する。

本日は、大竹しのぶのお母さんから彼女に届いたハガキのお話。

   一ヶ月の「にんじん」東京公演の後、10日間の大阪公演を終えて、帰宅された時のこと。

充実感と疲労感と淋しさが込み上げてきた時に、机の上の一枚のハガキが目にとまったそう。

それは、留守中の大竹しのぶにお母さんが書かれたハガキ。

「舞台お疲れ様。大変でしたね。身体は大丈夫ですか。舞台は面白かったです。しのぶは本当に子供に見えました。こちらは元気です。いつもありがとう」

このハガキを読んで、大竹しのぶは、明日からのエネルギーが湧き上がってくるのを感じることが出来たそうだ。

彼女が、これを受けて、お母さんに心から返した言葉に涙を貰った。

ご紹介する。

「お母さん、あなたにもらった気力と体力で、また一つの仕事をやり終えることが出来ました。明日からまた頑張って、全てのことを乗り越えてゆきます。ありがとう。おやすみなさい」

 

私自身の心の隅々まで、彼女の純粋な母親への感謝の思いが染み渡った。

一挙に淀みがなくなった。

 

親への感謝の気持ちほど、美しいものはないと実感した。

花も人も、命は一瞬一瞬

 題字は、華道家池坊の次期家元、池坊由紀改め専好さんの言葉だ。

彼女も、もう51歳。

結婚前の24歳時に書かれた本の、初々しかった頃を知っているので、それからの27年間がどんなものであったのかが、この言葉で分かる。

    いずれは、家元を70年以上務めているお父様の専永さんからバトンを渡される。

現在は、「花も人もそれぞれ。父の道を大切にし、自分らしさを出せれば、と思います」と世界に敏感でありたいと朝夜に英BBCや米CNNニュースを見ているそうだ。

「紛争や移民問題、環境破壊など凄まじい体験であふれている。家元継承を重いなんて言ってられないです」としっかり現実を直視。

池坊史上初の女性家元になるが「華道では性別は意味がない」とハッキリ。

そんな彼女だが、「好きな花は?」と尋ねられるとこう答えた。

「スズランやユリといった、奥ゆかしくうつむいているような花が好きです」と。

24歳時と本質は変わっていなかったことに、ほっとした。

   インタビューの最後に、「自分らしい華道哲学とは?」に対しての答えが、いつまでも頭に残った。

 

「今を生きる、です。思い通りにならず、悩み事がのしかかり、もがいたこともあります。でも、過去の後悔、未来の不安ではなく、今に集中して、今に生き、後は天に任せるのです。…命は一瞬一瞬、花も刹那刹那。人と花は、瞬間を生きています」

 

同じように、今を全力で生きていきたい。

 

道が2本、3本という生き方

 永江朗さんの生き方に、目が留まる。

そう、私の生き方も同じだから。

 

 ちょっと前の昭和の時代、道ひとすじに打ち込む姿は、誇らしく、輝いてみえた。

永江朗さんは、フリーライターとして、ご自分の考えをこう結ばれている。

『でも道が2本、3本あって、「これも、あれも」という生き方もいいではないか』

 

実は私も3本の道の生き方を歩んでいる最中だ。

決して、欲張っているのではない。

3本とも、自分にとって必要な道だから選んだ。

が、まだまだ先は、何も見えていない。

でも、不安よりも何故かワクワク感がある。

人並み外れて不器用なればこそ、叶えたい三道。

 

人は皆、誕生の時に、何かのお役目を頂いて、舞い降りてきた。

それを、これからの人生で、達成させたい。

そして、3本ともに全力投球で、地に足をつけて、生きていきたい。

 

皆様も、いかがですか?

ひとすじの道から2.3本の道へ。

栗原はるみの料理家出発の一語一会

さて、何だと思われますか?

意外にも それは、ご主人の栗原玲児からの言葉だった。

「ぼくを待つだけの女性であってほしくない」

 

これは、男のエゴじゃないの?と思った。

はるみさんも チラッとそれは認めている。

「妻は家庭に、がまだ当たり前だった30年以上も前。進歩的な発想でした。もしかしたら毎晩遅く帰る自分をじっと待っている妻が重かったのかもしれません」

 

それから夫が自宅にひんぱんに招くスタッフへのもてなし料理が評判となり、料理番組の裏方の仕事の声がかかる。

あの一言が後押しになって外の世界に飛び出したそうだ。

 

彼女の娘さんも現在は、子育てをしながら料理家として活躍しているが、娘さんは病気がちで、よく入院していたそう。

ぽろんと出た雑誌の溢れ話に胸が詰まった。

 

「母は忙しくかったので、偶に、入院の病室に手作りのお弁当を持ってきてくれたことが、嬉しかった」

 

決して絵に描いたような生活だったのではないことが分かる。

だからこそ、皆さんのご存知ない思いを乗り越えての今がある。

 

「主婦として家族においしいものをつくりたい」という優しさが彼女の心根。

元々お料理が上手であったことと、ご主人からの言葉に対する負けたくない気持ち⁈が、彼女をここまでにした。

 

あの温和な笑顔の裏の芯の強さに、大きな敬意を評したい。

 

悲しいことを泣き叫ぶ以外の方法で❗️

最果タヒさんの言葉に、朝からドキっときた。

 

私達は、悲しい時に、そのままでしか言葉に出来ない。

だから、余計に感情が溢れ出して、涙の洪水となる。

もっと違う表現が、出来ないかな。

そう、辛い時にこそ、線香花火のように、心のともし火を表したい。

いや、逆に、打ち上げ花火のようなお祭りの余韻を、ドカンと残していこうかな。

皆様は、いかがですか?

 

リズミカルに、いきましょう。

 

 

 

 

 

人が持っている、自分で表現出来る時計

題字の意味を、まずご説明する。

皆様は、あの時には言えなかったけれど今だったら言えるという時がありませんか?

 

よく、サスペンスの一場面にも、回想から、主人公の語りにより登場する。

そう、人は誰だってその時に言ってしまいたいけれど直ぐ言えばその言葉が軽視されて意味がない、と予感すると自然に言葉を飲み込む。

でも、必ず、もういいかな?と予感すると、ちょうどよい時期によいタイミングで、語り出す。

つまり、いつも頭の隅っこにある。

その告白に、各々が、自分で表現出来る時計が作用しているそう。

これは、中村純さんという詩人・編集者の言葉である。

 

皆様も、たった一度のご自分の人生。

現生にさよならする前に、言い残したことのないように、思い付いた時は、語ってみてはいかがですか。

 

 

 

 

30年後にもらった合格点

この題目に引き込まれた。

これは、お馴染み、大竹しのぶの「 まあ いいか」に書かれていたのもので、

歌舞伎役者の勘九郎のお嫁さん• 愛さんから、大竹しのぶへに送られた合格点を表している。

 

愛さんは現在、小1と幼稚園の男の子の子育てに毎日クタクタになりながら奮闘中。

大竹しのぶは、亡き中村勘三郎の誕生日に友人達と集まっていた時に、二人の孫ちゃんの相手になりながら、ほっと一息ついた時に、彼女と話している。

 

大竹しのぶは、この時に、昔の自分の子育てを思い出して、彼女に語った。

当時忙しくて、長男もしっかり見てやれなかった時の幼稚園の参観日で、母と別れてからの行動を映画の巻き戻しのように見せてくれるのを見て、少し悲しくなった時の大竹しのぶに、愛さんが言った。

「 子どもは本当に可愛いですね。二千翔君、お母さんに見てもらえて嬉しかっただろうなぁ。私も明日から頑張るぞー。しのぶさん、ありがとう 」

 

母親は、毎日毎日、精一杯生きている。

子育ては特に、ハプニング続きの連続ドラマだ。

だから、毎日が完結でないからこそ、30年後に合格点をもらえることもありえる。

信じられないけれど、本当の話。

 

この日は、二人にとって、忘れられない日になったことだろう。

もしかして、これは、亡き中村勘三郎さんの粋な計らいかもしれないね。

合掌。