思いの丈☆宅配便

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道が2本、3本という生き方

 永江朗さんの生き方に、目が留まる。

そう、私の生き方も同じだから。

 

 ちょっと前の昭和の時代、道ひとすじに打ち込む姿は、誇らしく、輝いてみえた。

永江朗さんは、フリーライターとして、ご自分の考えをこう結ばれている。

『でも道が2本、3本あって、「これも、あれも」という生き方もいいではないか』

 

実は私も3本の道の生き方を歩んでいる最中だ。

決して、欲張っているのではない。

3本とも、自分にとって必要な道だから選んだ。

が、まだまだ先は、何も見えていない。

でも、不安よりも何故かワクワク感がある。

人並み外れて不器用なればこそ、叶えたい三道。

 

人は皆、誕生の時に、何かのお役目を頂いて、舞い降りてきた。

それを、これからの人生で、達成させたい。

そして、3本ともに全力投球で、地に足をつけて、生きていきたい。

 

皆様も、いかがですか?

ひとすじの道から2.3本の道へ。

栗原はるみの料理家出発の一語一会

さて、何だと思われますか?

意外にも それは、ご主人の栗原玲児からの言葉だった。

「ぼくを待つだけの女性であってほしくない」

 

これは、男のエゴじゃないの?と思った。

はるみさんも チラッとそれは認めている。

「妻は家庭に、がまだ当たり前だった30年以上も前。進歩的な発想でした。もしかしたら毎晩遅く帰る自分をじっと待っている妻が重かったのかもしれません」

 

それから夫が自宅にひんぱんに招くスタッフへのもてなし料理が評判となり、料理番組の裏方の仕事の声がかかる。

あの一言が後押しになって外の世界に飛び出したそうだ。

 

彼女の娘さんも現在は、子育てをしながら料理家として活躍しているが、娘さんは病気がちで、よく入院していたそう。

ぽろんと出た雑誌の溢れ話に胸が詰まった。

 

「母は忙しくかったので、偶に、入院の病室に手作りのお弁当を持ってきてくれたことが、嬉しかった」

 

決して絵に描いたような生活だったのではないことが分かる。

だからこそ、皆さんのご存知ない思いを乗り越えての今がある。

 

「主婦として家族においしいものをつくりたい」という優しさが彼女の心根。

元々お料理が上手であったことと、ご主人からの言葉に対する負けたくない気持ち⁈が、彼女をここまでにした。

 

あの温和な笑顔の裏の芯の強さに、大きな敬意を評したい。

 

悲しいことを泣き叫ぶ以外の方法で❗️

最果タヒさんの言葉に、朝からドキっときた。

 

私達は、悲しい時に、そのままでしか言葉に出来ない。

だから、余計に感情が溢れ出して、涙の洪水となる。

もっと違う表現が、出来ないかな。

そう、辛い時にこそ、線香花火のように、心のともし火を表したい。

いや、逆に、打ち上げ花火のようなお祭りの余韻を、ドカンと残していこうかな。

皆様は、いかがですか?

 

リズミカルに、いきましょう。

 

 

 

 

 

人が持っている、自分で表現出来る時計

題字の意味を、まずご説明する。

皆様は、あの時には言えなかったけれど今だったら言えるという時がありませんか?

 

よく、サスペンスの一場面にも、回想から、主人公の語りにより登場する。

そう、人は誰だってその時に言ってしまいたいけれど直ぐ言えばその言葉が軽視されて意味がない、と予感すると自然に言葉を飲み込む。

でも、必ず、もういいかな?と予感すると、ちょうどよい時期によいタイミングで、語り出す。

つまり、いつも頭の隅っこにある。

その告白に、各々が、自分で表現出来る時計が作用しているそう。

これは、中村純さんという詩人・編集者の言葉である。

 

皆様も、たった一度のご自分の人生。

現生にさよならする前に、言い残したことのないように、思い付いた時は、語ってみてはいかがですか。

 

 

 

 

30年後にもらった合格点

この題目に引き込まれた。

これは、お馴染み、大竹しのぶの「 まあ いいか」に書かれていたのもので、

歌舞伎役者の勘九郎のお嫁さん• 愛さんから、大竹しのぶへに送られた合格点を表している。

 

愛さんは現在、小1と幼稚園の男の子の子育てに毎日クタクタになりながら奮闘中。

大竹しのぶは、亡き中村勘三郎の誕生日に友人達と集まっていた時に、二人の孫ちゃんの相手になりながら、ほっと一息ついた時に、彼女と話している。

 

大竹しのぶは、この時に、昔の自分の子育てを思い出して、彼女に語った。

当時忙しくて、長男もしっかり見てやれなかった時の幼稚園の参観日で、母と別れてからの行動を映画の巻き戻しのように見せてくれるのを見て、少し悲しくなった時の大竹しのぶに、愛さんが言った。

「 子どもは本当に可愛いですね。二千翔君、お母さんに見てもらえて嬉しかっただろうなぁ。私も明日から頑張るぞー。しのぶさん、ありがとう 」

 

母親は、毎日毎日、精一杯生きている。

子育ては特に、ハプニング続きの連続ドラマだ。

だから、毎日が完結でないからこそ、30年後に合格点をもらえることもありえる。

信じられないけれど、本当の話。

 

この日は、二人にとって、忘れられない日になったことだろう。

もしかして、これは、亡き中村勘三郎さんの粋な計らいかもしれないね。

合掌。

 

昭和の女子学生の伝言に拍手

朝から、ザ•コラムを一息で読み切る。

この内容には、息継ぎの必要がなかった。

差別とは言わぬまでも、平成の女子学生にはちょっとピンとこないかもしれない。

一つ時代が変われば、こんなにも世の中は変わるのか?

 

新聞の編集委員の彼女の纏めの文章が素晴らしい。

拍手をした私から読者の皆様へ、語り伝えるように

そのままを綴る。

どうぞ、しかと一読頂きたい。

 

立ち向かった人が切り開いた道も、逃げたりあとずさりした人が踏みしめた道も、自分だけが歩くけもの道。折り重なって少しずつ、社会を変えていくのよ。

 

もう、結婚退職が寿退社で当たり前だった時代ではない。

子供を産んで半年もすると、決まった時間内だけ顔を出し、保育園に預かって貰えるようになると、最初はフレックスから、やがてはフルで働けるようになった。

女性の多い職場には、その中に、保育園もある所が増えた。

男社会だったバスや電車やタクシーの運転手に、女性が定着した。

 

もう女性は職場の花から、根を張ったリーダーに変わった。

 

勇気が出る哲学者の言葉

恥ずかしながら、哲学者の戸田山和久さんのことは

無知だった。

同じ無知でも、意味の違う無知の意味を彼から教えて貰う。

それは、これ。 

エッセー「とびだせ教養 」4月号より抜粋。

 

人は学ぶ前に、つい、こんなの勉強して何になるの、と問う。

が、学ぶことの意味は、じつは学んだ後でしかわからない。

世界には、自分が知らない領域が「 想像をはるかに超えて広がって 」いることをこれまでらくに知らなかったと思い知ること、つまり「 無知の無知の知

こそ〈 教養 〉というものだ。

 

その通りだ。

 

学生時代に「 どうして◯◯さんは、勉強が好きなんだろう 」「 何でも知っているんだろう 」と疑問に思ったままにしていたことが蘇った。

そして今、その答を明白に頂いた。

それは、疑問符が沢山あったから、その無知を知にする為に調べたりしていく内に、分かる喜びを体得したからかな。

 

日本の最高学府で学ばれた戸田山和久さんに、改めて敬意を評したい。

そして、長年の疑問解消へのお礼を申し上げたい。