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反抗期が長いと親孝行になる?

 朝からの新聞テレビ欄のコラムで、一瞬にして爽やかな気分になった。

なぜなら、読売アナウンサーからフリーに転身した川田裕美アナウンサーのインタビューに、ほっこりしたから。

   彼女は、10代の頃に、長い反抗期が続いた反動もあって「 親を悲しませたくないし、家族が喜んでくれる仕事をしたい 」とフリーになってからの仕事を選んでいる。

  見た目がおっとりとしているので、反抗期が長かったなんて思えない。むしろ、なかったかのように見える。

そう考えると、人はその風貌からは判断出来ないと意識を新たにする。

そして、いつも感じることだが、感情面での苦労が多かった人程、他人に優しく、身内にも素直になれるのかもしれない。

   改めて、川田裕美アナウンサーの活躍を祈りたい。

 

 

子供に生きる力を与えるのが、先生

 新聞のコラムで「 先生 」を見つけた。

 現代の仕事の中で、一番頑張って欲しい人だから書いてみたい。

  テレビでお馴染みの林修が、こんなことを書いていた。

「 先生ができることは実は限られています。自転車の補助輪と同じで、生徒が自力走行できるようになれば役目は終わる。…補助輪としての仕事とは、生徒の内面の力を引き出すことです。生徒が、自分の秀でている部分で勝負できる土俵を見つけるお手伝い。」

その通りである。

彼がテレビの仕事をしながらも、東進ハイスクールで古文を教え続けているのは、生徒や保護者の熱い

支持を受けているからだ。

きっとその役目を果たしているのだろう。

   コラムの中に、思わず唸った高校生のものがあった。

「 先生について二つ分かったこと。一つは、先生と教師はイコールでないことだ。『 教師 』は学問を教える。『 先生 』は悩んでいる生徒に寄り添い、先に生まれた人生の先輩として、自分の経験をもとに諭す人だ。二つ目は、先生は生徒以上に失敗をたくさんしている。だから、生徒に共感や同情ができるのだ。」

この高校生は、大学に落ちて捨て鉢になっていた時に、高校生の英語の先生に声を掛けられたことを、心に激しく響いたと書いている。

実に素敵な声掛けの言葉だ。

「 まっすぐな君が好きだ。定期的にご飯でも食べよう」

 

皆様は、今まで出会った先生で忘れられない人はいますか?

   子供の学生時代は、紆余曲折だ。

クラブや勉強の取り組み方や友人関係等、悩みは尽きない。

現代は登校拒否という難題もあるが、何れにせよ、身近な先生がそのキーを握る。

いいクラスに出会えるのも、先生の力量が大きく左右するし、良い学校も、そこにいる先生が作っている。

    愚息が出会った先生で、わずか3年であったが、忘れられない人がいる。

先生といっても寮の先生だ。

彼は、三人兄弟として育てられ、ご両親の深い愛情を受けてきた。

だから、母親の気持ちも、息子の気持ちも分かる。

先生である以前に、人として、私達の気持ちを受け止めてくれた。

   近々、悲しいかな、別れの挨拶をしないといけない。辛い。

三年間、親元を離れ、精神的に自立して親離れ出来たのも、なかなか子離れ出来ずに不安を捨てきれなかったのが出来たのも、先生のお陰である。

私達は、きっと、先生のことは別れないだろう。

なぜなら、先生は、私達の人生のターニーングポイントに出会った人だから。

 

 

 

歳を重ねることで得られるもの

 折々のことばで、芸能界を一世風靡した俳優の言葉を見る。

「役者やっていて一番嬉しいことは、おれと一緒のシーンに出たやつがよう見えること」

知る人ぞ知る、火野正平の言葉である。

  思わず、仰け反った。

彼の若い時には考えられなかった言葉だから。

  彼は、歳を重ねることで、自分が輝くよりも、自分が横にいることで隣の人がもっと輝くのを歓ぶ俳優となった。

そして、自分が歓ぶのではなく、他人を歓ばせて自分も歓ぶというのがあたりまえのようにできるようにもなった。

  これは、年齢である。

俳優は、歳をとると、若い時のような主役も頂けなくなるし、メークによる修正も時間が掛かる。

伊達に歳をとっていない、という言葉の意味が、この彼の言葉で理解出来た。

  私達凡人も、そう。

若い時は、口に棘があっても、年齢で許して貰える。付け焼き刃でその場を乗り切ることも可能。

だが、皺もシミも目立つようになると、「そんなことも知らないの?」と馬鹿にされだす。

そこで、これでは恥ずかしいと勉強するか、萎縮して引っ込んでしまうか。

   火野正平は、お客さんの立場になって、自分というものを客観視出来たから、他人を歓ぶこばせて自分も歓ぶことをあたりまえにできるようになったのだろう。

   誰だって、歳をとる。

これは、美智子皇后だって、クレオパトラだって、私だって皆同じ。

だからこそ、歳を重ねて良かった生き方をしたい。

  周りの老若男女の言動を許して、ニコッと出来るのも、その一つではないかな。

皆様は、どんな歳を重ねていきたいですか?

 

 

 

 

 

 

おやじのせなか、から昭和の父像

 今朝、小島慶子の父の言動から、昭和の父像がくっきりと蘇った。

終身雇用で定年まで働き、自分の趣味もなく、生きていき、尽きた。

それは、かわいそうではなく、当時は当たり前の生き方だった。

   小島さんは、ご主人が突然会社を辞めて専業主夫になったことで、世の男性の自由でない生き方を痛切に感じるようになる。

家のローンを抱えて、子供を大学まで行かせる為に、毎日満員電車に揺られている。

しんどいなんて言おうものなら負け犬扱いされ、家では粗大ゴミなどと言われる。

そうだ。

昭和の父は、家族の為に戦った。

 

皆様のお父さんは、どんな方でしたか?

 

昭和の父の生き方は、平成の父像とは異質であり、ある意味、潔さと尊さを感じる。

どうか、長生きをして貰いたい。

 

人との出会いで気をつけること

もう、卒業式などの別れが始まっている。

子供の心身の成長と共に、思い出が交錯していることだろう。

   出会いも別れも、実は一期一会。

そのことを頭の引き出しに置いていたら、折々のことばで、こんなのを見つけた。

これも一つの出合いである。

御紹介する。

「最後にかわした言葉が心残りだった、ということにならないように」

これは、登山家の田部井淳子の言葉である。

   登山家の彼女は、家族がどこかに出かけるときも、まさかの事故の時のため、その日の服装をしかと脳裏に焼き付けるようにしてきたという。

胸が詰まるが、生きることは、それだけの緊迫感があるのが分かる。

   「じゃあ、またね」と手を振って別れる時に、作り笑いでなく、心からのいい顔でと決めた。

 

誰にでも必要な、じっと待つ優しい時間

 このブログではお馴染みの「まあいいか」。

女優・大竹しのぶのコラムである。

今回は、涙腺が緩んで

溢れた。

   障害者の青年が、自分の財布からお金を取り出し、レジで支払い、お礼を言って出ていくお話。

それを大竹しのぶの語り方そのままで、綴られている。

   最後に彼女のメッセージがあるので、ご紹介する。

「青年はいつか社会に出ていかなければならないだろう。青年のテンポを待ってくれない人もいるかもしれない。いまのこの国の情況の中で、支える側の運営も楽ではないだろう……。私は、あの青年が買ったクリームパンを母に食べさせたくなって、手に取った。」

   彼女と同じ気持ちである。

 

   慌ただしく流れていく日々の中で、忘れてはいけない人の心を思い出せるコラムを、いつまでも読み続けていきたい。

そして、彼女の文才と人としての優しさを、これからも噛み締めていきたい。

   まあいいかって生きていければ、幸せかな。

 

子供に立ち止まって考えさせる言葉掛け法

 本当に自分にとっての一大事は、じっくり向き合うこと、そこから逃げてはいけない。

と今は亡き蜷川幸雄先生は、娘さんにアドバイスされ、こう言われた。

「目の前の楽しさで気を紛らわせるよりも、こういうときにしか聞こえてこないメロディーとか辿り着かないこととかがあるのだから」

  娘さんは、この言葉で目が覚めたという。

大学受験に失敗して落ち込んでいる時、気晴らしに友達と遊びに行こうとしたようだ。

普通なら、そう言われても出掛けただろう。

が、流石にあの演劇家の父の子供である。

彼女は、立ち止まって考えた。

それがこの言葉で分かる。

その場だけ楽しんでやり過ごすのは絆創膏のようなもの。

そして、以後、凹んだ時は「これがあったからここに辿り着いたんだ」と思えるまで自分を掘るようになったと言う。

    改めて、親から子への心に響くアドバイスの重要性を思った。