思いの丈☆宅配便

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稀勢の里★辛抱の木に咲いた花に乾杯

今朝の新聞に目を通すなり、ぐっと涙が溢れてきた。

昨日、大関稀勢の里が初の賜杯を手にした。
彼からの3つの言葉は、これからも脳裏から離れないインパクトの強いものだった。
まず1つ目。
「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」
これは彼が中学の卒業文集に記したものだ。
2つ目は、これを受けての昨日の優勝の言葉。
「ずいぶん長くなりましたけど、いろんな人の支えがあってここまでこられた…自分の相撲を信じて、またどんどん稽古して、強くなって…」
これは努力の人だから自然に出てくる言葉だ。
努力の積み重ねの毎日だからこそ、見えてくる人の温かさ・ぬくもり。
自分だけが努力の結果を心身で分かっているからこそ、自分を信じることが出来る。
そして3つ目は、今後の課題を見据えた言葉。
「満ちれば、欠ける」
彼の横綱昇進の日に、大師匠・初代若乃花から贈られたもの。

貴方の新たな挑戦は、これから始まる。

高橋まつりさんの母から本音ポロリ

今朝の新聞社会面から、高橋まつりさんの母の本音が、零れていた。
私達は、これが知りたかったんだ。

それには、この2点があった。
まず、まつりさんは電通ブラック企業であると分かっていながら、7番目に人気のない部署配属と知りつつ、入社式に臨んだこと。
そして、「長時間労働に悩んでいる人に伝えたいことは?」の質問の答えだ。
出来るならば赤字で記して貰いたい。
「頑張り過ぎず、SOSを出してほしい。(そして、ここに注目)→どこかに戻るところがあれば、戻ってほしい」

逆に返したい。
あなたの処に戻れていたら、今も彼女は生きていたのだと。

阪神大震災から22年

1月、正月を終えて、関西中学入試が始まると思い出す。
あの頃に生まれた子供は、もう、22歳である。
阪神大震災から、22年の時は過ぎた。
亡くなった6434人のドラマは、今もなお息づいている。
生き埋めで死亡した大人も学生も子供も多かった。
もう少し早く助けにきて貰えていたら、今も生きていたかもしれない。
無念を強く感じた震災だった。
故に、その教訓はよい意味で生かされていると信じたい。

大切なことは、生きたくても助からなかった人が6434人いたことを、これからも忘れず、語り伝えていく。
それが、生かして貰えた私達の当たり前の役割だと思うから。

2019年元旦から新年号

いよいよ、2019年元旦から新年号になる。
1月11日の新聞朝刊に、そのことが掲載された。
アメリカでは、オバマ大統領が代わるとあった。
昭和、平成と生きてきて早や30年。
小渕恵三官房長官が、平成と発表した日を未だに覚えている。
そして、今度は何という元号になるのか?
いえ、どんな時代になるのか?
心に降り立った空白をどう埋めて、これから生きていくか。
大きな課題を投げられた。

皆様は、どう受け止められますか?

麻央さん、生き抜いて

テレビ画面をこんなにも必死にかぶりついたことは、今迄なかった。
そして、麻央さんを通して、歌舞伎界の奥深さを知った。
ブログの堀越勘玄君が見ながら寝ている姿に、引き継いでいくことを暗黙の了解で分かる。
麻央さんの闘いは、海老蔵さんの闘いでもあったのだ。
知らなかったことを共有し、どうすることも出来ない試練に胸が詰まる。
歌舞伎という世界に飛び込んだが為に、現在があるのか。
ただ、ただ、麻央さんの心を身体を太いパイプで繋ぎたい。
奇跡を、時間を、祈るのみ。
そして、この番組を見せて下さった方々へ、感謝である。

麻央さんへの酵素風呂の効果

たった今、海老蔵&麻央ブログでの酵素風呂の話題に目が止まった。
どうだったのか?
それだけが、心を占める。

麻央さんの「痛みがやわらいだみたい」
の言葉に良かったと祈る気持ちになる。

ずっとずっと痛みを持ち続けている彼女。
どうぞ、続けていくことで、痛みの元から取り除いていけたらと願う。

お姉さんのまやさんもご主人の海老蔵さんも、麻央さんの言葉で泣いたという。

どうぞ、神様、仏様にお願いしたい。
酵素風呂の効果が、続いていきますように。

合掌。

天声人語にみるSMAPと生きた時代

あの天声人語が、最初から最後までSMAPで埋め尽くした。
とても珍しい出来事。
それも、これを読めば、SMAPと共に生きてきた現代の行きにくい世の中が一発で分かる。
胸が詰まるが確かにそうだった自殺者が3万人を越えた1998年。
「夜空の向こうには明日が待っている」とSMAPの歌に希望を託した。
そして、元気を貰った。
誰もがひとり、口ずさんだに違いない。
あの永遠の名曲「世界に一つだけの花」は、リストラで職を失い、先が見えなくなった世の中に、寂しくなった心に寄り添ってくれた。

天声人語記者の独り言の呟きが、木霊してくる。
「解散の決定までには、所属するジャニーズ事務所の不透明さや芸能界で働くことの不自由さが垣間見えた。最後の番組放映でも解散のについての言葉はなかった。語りたくなかったのか、語れなかったのか」

最後の最後に、紅白でSMAPメドレーで聞き納めをしたかった。