思いの丈☆宅配便

書いて読んで繋がりませんか!

人生、七味とうがらしに、響いた

人生、七味とうがらしは、今朝の折々のことばにあった。

早速に皆様に公開。

うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみな7つの性は、いずれも自他の比較に由来する。

皆様は、これら7つの意味を、全て説明出来ますか。

それでは、説明をいってみよう。

うらみは、恨・怨・憾と書く。

意味は、他からの仕打ちを不満に思って憤り憎む気持ち。

つらみは、辛と書く。

意味は、つらいこと。

ねたみは、妬と書く。

意味は、自分以外の誰かに対して、その人の持つ優秀な点や自分にはないものを考えて、羨ましいという感情や憎く思う感情。

そねみは、嫉と書く。

意味は、人を羨ましがったり、自分に劣等感を抱くこと。

※ ねたみとそねみは、区別が付きにくいので、補足。

そねみが、他人に対して羨ましいという気持ちを抱くことであるのに対して、ねたみは、悪意が他人へと向かっていること。

いやみは、嫌と書く。

意味は、他人に不快感を与える言動で3つある。

①言葉

②相手にとって不快を感じるような気取った素振りや外見。

③相手の真意に関わらず、不快なものとして受け止めること。

ひがみ、僻と書く。

意味は、ひねくれた考えや気持ち。

やっかみは、漢字なし。

意味は、主に関東言葉で、うらやみ、ねたみ。

ねたみは、妬と書く。

 

人生、七味とうがらしとは、粋な言葉だ。

私達は、出来るならば、これらの7つの性は、避けたいと思っている。

が、他人とのしがらみの中で生きているので、避けて通ることも不可能である。

これを書かれた「ある占い師」は、これと正面から向き合うことで人生の味わいも一層深まると、七味とうがらしという言葉を使った。

 

さあ、皆様はどう扱いますか?

七味とうがらしにするか、タバスコにするか、コチュジャン…。

 

楽しむことも一つだと教えて貰った。感謝。

 

夏、救いの手は、すぐ近くにある

18歳以下の悩み受付の相談電話(チャイルドライン)☎︎0120-99-7777 が開設20年を迎えた。

秘密は守る。途中で切るのも可。のルールで毎夜9時まで切れ目なく電話が入る。全国二千人のボランティアが年間20万件の相談を受ける。

聞き手側のポイントがある。思わず頷いた。

ご紹介したい。

「救いたい、教えたいと力が入る大人には心を開いてくれません」

聞き手は説教したり、会って励ましたりしたりはしない。耳を傾け、共感することで、孤独の淵にいる子どもたちの支えになる。

 

年齢を重ねてくると、経験を得て、色々なことが体得出来るようになると、どうしても口が先にたつ。そして、恩着せがましくなったり、上から目線になったりしてしまう。それは決して出しゃばろうなんて思ってない。問題が起こる前に、それを未然に防いであげたいと思う親切心からくる。

私達は、曲がりくねっても大人になれた今、お世話になった昔の先輩方に、恩返しをしたい。

アドバイスを頭と心にしっかりと受け止めて、まずは深呼吸かな。

そして、救いの手の一つになりたい。

 

平成生まれの若者たち、何でも聞いてあげるからね。

 

最近は、ラインでも悩みごと相談に対応してくれるところがあるらしい。

チェックしてみてね。

 

人生、顔じゃない〜の折々の言葉

朝から、炭酸水を飲んだような気分爽快感が現れた。

ひさびさに、朝日新聞の折々の言葉を引用する。

「人生、顔じゃない。顔になっていくのが、人生なんだ」

詩人の田村隆一さんの言葉である。

 

若いうちは、誰も理解が不可なこと。

顔というのは、言っても 見た目なので、親から頂いたパーツの一つ一つや、バランスが取れていたりして 好印象を貰える人を見ると羨ましいもんだ。

まして、喋らなくても、居るだけで存在感がある顔の人の側なら、逆に、落ち込んでしまう。

それが更に、話す言葉も標準を越えていたりすると、妬んだりもしてしまう。

就職活動は、特に、これが悩みの一つになる。

でも、これは、物事の最初の頃だけだと認識して欲しい。

恵まれた顔の「顔に甘え」た人は、自分自身の内面を切磋琢磨することなく、中年まできてしまう。

だから、一生懸命を蔑ろにして、中身のない人生を送り兼ねない。

しかし逆に、見た目の顔で苦労した人は、まず見た目を良くする為に、笑顔を習慣化したり、心で泣くということを当たり前にする。

喜びは、惚れ惚れするいい顔となる。

このいい顔は、常に自分の顔と向き合ってきた人にだけに与えられる神さまからのプレゼント。

かく言う私も若い時、容姿端麗ではなかったので、漠然と、いい顔の人にないたいと強く願った。

不器用だったので、努力して形にする喜びを覚えた。

結果、一年や二年での顔の変化は無かったが、三年から五年で、生き生きした顔を貰った。

人の心の表と裏を分かり、寂しさを知って涙し、辛い人への声掛けが出来るようになった。

だから、田村さんの「顔になっていくのが、人生なんだ」が分かりすぎるくらいに分かる。

 

若い人は今、何でもスマホで撮って、インスタにアップされる。面白いものも多い。

だから、毎年、ご自分のお顔を撮って、スマホアルバムにされることをお勧めする。

五枚くらい溜まったら、見比べてごらん。

その変化が、ご自分の生きてきた、言い換えば努力した結果だからね。

美じゃなくて、中身の濃さを求めていきましょう。

楽しいから。

 

栗原はるみの居場所

季刊誌が出た。

キッチンから心をこめて、に目が急いだ。

「まったくの専業主婦だった私が、外国で英語で料理を教えるようになるなんて、ほんとうに夢のような話です。これも英語の勉強をコツコツ続けてきたかしら。70歳は過ぎたけれどやりたいことはいっぱい。料理家として力をつけてきた子どもたちにも負けてはいられません。そのためにも自分の努力でつかんだと実感できる居場所が欲しい。ハワイには私を待ってくれる人々がいる。私だからこその役割がある。大げさにいうと自分の人生を確かめに行く場所、それがハワイなのです。」

彼女は、ハワイの食の魅力を世界に発信する『フード親善大使』を任されたのがきっかけで、ハワイの食材を使った栗原はるみの料理をイベントで披露したりする中で、さまざまな人との出会いがあった。

そのひとりハワイ州立大学の先生から、日本の家庭料理を教えて欲しいという話を貰って、年2回ハワイに行くことになった。

 

人の人生は、何が幸いするか分からない。

とすれば、彼女のように常にアンテナを周りに向けて、発信した方が絶対にいい。

私もやっと、自分のやりたいことが朧げながら見えてきた。

いつか、彼女のように、自分の居場所を手にしたい。

いやあ、きっと、日本にいくつも出来るかも。

ぐっと、彼女に背中を押して貰えた。

感謝である。

 

最後に、彼女の言葉を書いてエンドとする。

 

「料理と英語、一生懸命続けてきてたどり着いた場所ハワイに行くと心身ともに解放されます」

上沼恵美子の過去告白に、優しさ

 TOKIO山口達也へのコメントが相次いでいる。

その中で、上沼恵美子さんの自身の過去告白に愛を感じた。何故なら、普通ならそこまでは言わないからだ。

以下、ご紹介する。

 

「私、30代の時、ビール一晩20缶飲んでたんですよ。」

当時、仕事がうまくいっておらず、酒量が増えていたという。基本的には、家飲み。

 泥酔したある日、16歳の次男が「いい加減にせえ!」と椅子をパーンと蹴り飛ばし、上沼はひっくり返ったという。夫も見ている前での出来事だった。

「母親の醜い姿を息子に見せたという恥。情けなくて…。」

次の日、寝室で泣いていると、次男がやってきて、

「オカン、ごめんな」と詫びた。

上沼も「お母さんの方こそ改める。こんな母親でごめんな」と謝罪。

「私、本当にドキッとした」と当時を振り返った。

 

この話を聞き、ご本人の告白と共に、ご次男の勇気に敬意をはらった。

よく、お母さんの目を覚まさせてあげたね。偉い。と。

彼の椅子の蹴り飛ばしがなければ、今尚テレビで活躍する上沼恵美子さんは、いない。

毒舌キャラの彼女こそのコメント。

酒断ちは、誰にでも容易いものではない。

上沼さんの過去告白を自己のこととして受け止め、山口達也が今後の人生を生きていければと祈る。

 

栗原はるみさんの本に心感じて

いつも、栗原はるみさんの本の見開きページを読むのが好きだ。

なんてことない文章なのだが、心がほろっとくる。

今回は、孫の七五三の話から、ご自身の歳を重ねたことが語られている。

ちょっとご紹介する。

「 孫たちの成長ぶりを見ていると、子どもたちが幼かったころを思い出します。あのときは私もまだ未熟で、してやれなかったこともあったなあ、仕事を始めたばかりで、子どもたちも不安だったのではないかしらなど、ほろ苦思いがこみ上げることもあります。それでも子どもたちは一人前の大人に成長してこうして親になった、親の気持ちが分かる立場になったのかなと、感慨にふけることもあります。それと同時に思い知らされるのは私自身の年齢。孫、子どもが成長した年月と同じ時の流れは私にもあって、ずいぶん年を重ねたものだと、しみじみ感じます。愛おしく、そして懐かしく、けれどちょっぴり寂しいような切ないような複雑な気持ち。」 

 

彼女の歳の重ね方を、一読者として、共に生きてきた。

いいなあと思う。

女性として、決して華やかではなく、普通に生きてきた彼女を尊敬する。

拍手を送りたい。

いかがでしょうか?

阪神大震災の問い掛け

 阪神大震災から、23年経った。

 

今朝の天声人語を読んで、涙が込み上げてきた。

主役は、神戸市の会社員、中村翼君。

阪神大震災の当日に生まれ、成長する姿をテレビで追われ、小学生になるとプロ野球の始球式に招かれた。

果たしてそれが、彼にとって良かったのか、そうでなかったのか。

先週、神戸市内の小学校での震災を伝える「語り部KOBE1995」での講演で分かった。

 

先程の始球式に招かれたりすることについて、から続いている。

「思春期にはそれが負担で悩んだ。何千人も亡くなった日に僕は単に生まれただけ。何もやり遂げていない。誕生日を隠すようになりました」

 

思い悩んで屈折した彼の思春期を想像すると、運命も皮肉だと感じる。

でも神さまは、彼に、大きな飛躍となる機会を与えた。

大学で防災教育を学び、心境が変わり、東北の被災地でボランティアをし、仮設住宅の人々と話をした。

そして、今まで避けて聞くことのなかった生まれた日のことを両親に尋ねた。

 

揺れた瞬間、父が母に覆いかぶさったこと。火の手が見え、家を出たこと。避難先の小学校で破水したこと。見ず知らずの女性が車で休ませてくれたこと。病院へ向かう道が渋滞し、警官に頼み込んで車線の脇を誘導してもらったこと。4時間かかってたどり着いた病院が停電していたこと。父の懐中電灯に照らされて生まれたこと。倒壊の恐れから病院を出たこと。深夜まで産湯を使えなかったこと。

 

この話の中から彼は、分かる。

自分が生きているのはまさに奇跡だということが。

 

これを気づかせんが為に神さまは、屈折した生き方をさせたのかもしれない。

 

彼は最初、その時に生まれただけと言っていたが

とてつもない大きな役割を担っていた。

阪神大震災を、これから日本を背負って立つ子供達に肉声で語り伝えることだ。

 

有り難う、中村翼君。

よく元気に生きていてくれた。