思いの丈☆宅配便

書いて読んで繋がりませんか!

54歳で若年性認知症と診断の木下大成さん

今朝は、54歳で『若年性認知症』と診断された木下大成さんのことをお伝えする。 

  彼は、幼い頃に自宅にあった『家庭の医学』をずっと読んでいる子どもで、なりたいのは医者だった。が進学したのは九州大学理学部生物学科。そこでバイオテクノロジーと出合い、「自分で診察しなくても、バイオテクノロジーを使って良い薬を作れば、病気の人を治すことができる」と考えて博士課程からは東大に移り、米国留学なども経験しながら、がん領域で開発が進んでいた分子標的薬に関わる研究に取り組んだ。  

 転機になったのは、東大の助手として海外の学会に出席した時。その時に留学時代の仲間と再会し「米国へ戻ってこいよ」と誘われ、サンフランシスコのバイオテクノロジー企業への就職を決心した。

 初出社日は2001年9月11日で、同時多発テロで世界が震撼する中、米国での生活が始まり、ご自身も結婚、長男誕生、将来性ある企業への転職を果たして順調に日々は過ぎていった。

 ご自身の体調に変化があったのは、勤務先が大手に買収され、M&Aに伴うリストラが始まった頃である。改めて精神的ショックが身体に及ぼす深さを思うと辛く悲しくなった。

 彼は、自室にこもりがちになり、ぼんやりすることが増え、19年11月にリストラされた。

 世界は新型コロナ禍へ突入。転職活動は思うように進まない。徐々に彼自身の異変は目立つようになっていった。それは、こんな感じだ。スケジュール管理がうまくできなかったり、オンライン会議システムへの入り方が分からなくなって面接に遅れたりすることもでてきた。

彼のこの様子を見ていた奥さんは、『失業によるうつ』を疑い始め、カウンセリングの受信を勧めた。しかし彼は、「転職し成果を出すことで回復できる」と首を横に振り、受信しなかった。この時にご自分の恥を忍んで、カウンセリングを受けていたら少しでも今の病気が進んでいく状態を抑えることができたかもしれないと思うと、心が詰まる。

 そうしていたところ、20年7月にかつての上司から声がかかり、スタートアップ企業への就職が決まった。

 しかし、身体状態は病気が進んでいる為に、より深刻になっていった。

それはこんな感じだ。思うように働けない。なかなかアイデアが浮かばない。

このことに対して、ご本人は「年齢のせいかな・・・ぐらいに思っていた」そうである。

 一方奥さんから見える姿は、少し深刻だったようだ。依頼したことと違うことをしてきたり、重要な銀行の振込期日を忘れてしまったと几帳面な性格の彼からは考えられないミスが続いた。そして22年に入り、めまいやしびれといった症状の他、記憶が混乱していると思われる言動をしたこともあった。結果4月には会社から病院へ行くように勧められた。そして、5月に脳神経科を受診。認知機能検査をもとに医師は「与えられた職務が遂行できる状況にない」と判断し、休職が決定した。さらに髄液検査などを受け、10月、『若年性アルツハイマー認知症』の診断が下りた。

 このことに対して彼がまず頭に浮かんだのは経済的な心配だった。当時のご子息はまだ小学生。生活費や医療費に加え、教育費が気がかりになり、「なんでこんな病気に今ならなきゃいけないんだろう・・・」という気持ちになり、ショックよりも悔しさや悲しさが湧き上がったそうだ。

 彼の言葉はこうだ。「勉強して、留学して米国に来て約20 年。まだまだ上を目指して進みたいと思っていた。それが、将来の可能性の扉が全て閉じられてしまった」そして、ご子息にご自分の病気をどう伝えればよいかも考えあぐねたそうだ。それでどうしたのかは、こうだ。

お祭り好きなご子息の性格を考慮し、診断直後に開催された米国アルツハイマー病協会主催のウォークイベントに家族で参加し「お父さんも認知症なんだ」と明るく伝えたそうだ。

 ご子息の気持ちを考えると、お父さんとお母さんと一緒に歩いて気持ちも明るく弾んでいる時ならば、深刻な雰囲気ではないから、「そうなんだ」かもしれないけれども受け入れることができたように思う。良いイベントを開催して下さったなあと米国アルツハイマー病協会に感謝したい。

  今彼は、今年5月から新しい治療薬『レカネマブ』の投薬も始めたようだ。効いて欲しいと祈っている。

  彼の結びの言葉を最後にお伝えしたい。

「仕事で創薬に関わることは難しくなったが、認知症当事者の立場から医療の発展や社会に役立つことはできると思う。次の世代が少しでも認知症への不安や恐怖を減らせるように、認知症と闘っていきたい」

  

 『若年性アルツハイマー認知症』と判断され、将来の可能性が全て閉じられてしまり、ショックよりも悔しさや悲しさが湧き上がった状態から、考え方の視点を変えて、当事者の立場から認知症への不安や恐怖を減らせるように闘っていきたいと精神的も強く逞しくなられたことは良かったと思う。少し、ほっとしている。

私が願うことは2つだ。

一つは、新薬が効いてくれること。

もう一つは、彼のご子息がご自分のお父さんの生きる姿を見て、精悍に、将来の進む道を選んで進んでいって欲しい。

 

卵子凍結を選んだ人の話

 まず、卵子凍結についてはご存知ですか。

女性が卵子凍結を希望する理由は、仕事が忙しいか、パートナーがいないというどちらの理由が多いそうだ。

する上で問題となるのは、掛かる費用が保険適用外で最高額「40 万円以上60万円未満」と高額なこと。

  実際に、卵子凍結を選び今年ご出産された山口真由さんの情報を入手したので、ここでご紹介する。

 彼女は、皆様もご存知の東大首席卒業の弁護士であり色々な番組でコメンテーターを務める方。

 30代で友人との話題から興味を持ち、卵巣の状態を知りたいと思い、検査をされたことが全ての切っ掛けだった。ご自身の卵巣年齢を知る手がかりとなる『卵巣予備能』値の結果が「閉経時期に近い50歳相当」と知り、愕然とされたそうだ。

そして、決まったパートナーもいなかったことや結婚の予定もなかったそうだが今よりも状態が良くなることが見込めないのならば少しでも早い段階で卵子凍結をしておいた方がよいと考えて、病院のセミナーなどに通い、卵子凍結は決して妊娠率が高い方法ではないと知った上で、この方法を選ばれたそうだ。

 彼女は、お子さんが生まれてからの気持ちをわかりやすく纏められているので、ご紹介したい。卵子凍結とは少し話が反れるが、それはご了承頂きたい。

『子どもが生まれてからは、当然ですが、母親になることが唯一のゴールではないことが改めて分かりました。そこから更に長く果てしない道があるんですよね。  できることなら、かつての私のように子どもがいるかいないかで相手をジャッジしたり、壁を作ったりするのではなく、お互いの辛さや弱さをもっとちゃんと開示して分かり合える環境があるといいなと思います。不妊治療している人も、出産を考えていないのに「子どもはまだ?」と言われる人も辛いけれど、母親になった人だって異なる悩みや辛さを抱えています。様々な立場の人の気持ちがようやく分かった気がします』

 

 

 

家庭養護促進協会のイベント

 昨日予告していた4つのお話の、1つ目からご紹介する。

 家庭養護促進協会のイベントが2月中旬に、大阪市内のホールで行われた様子が綴られている。

 それは「涙活」といって手紙を読み聞かせ、聞く人を元気にする取り組みだ。

ここでは、乳児院児童養護施設から子どもを引き取り、今養って育てている人が、会ったことのない生みの母親へ書いた手紙が代読されている。

これを全て入力することが必ず皆様に分かりやすい伝える方法だと思うので、させていただく。

『あなたは一人で小さいゆうきを産んだとき、とても辛く怖かったことでしょう。幼いゆうきを愛おしく感じていたかもしれないのに、手放してくださいました。断腸の思いだったことでしょう。  私は長年、不妊治療をしてきたこともあり、高齢でゆうきを育てています。早くにゆうきとお別れしないといけないかもしれません。そんなとき、もし、ゆうきがあなたを訪ねて行ったり、頼ったりすることがあったら、できる範囲でかまわないので支えになってもらえたらうれしいです。  どうか・・・、ゆうきのことで後悔されたり、人生を辛いと思われたりしませんように。ゆうきには、その名前のように、勇気を持って生きていってねと伝えています。あなたがそうしたように。どうか、幸せでいてください。ゆうきの母より』

 

 皆様は、どのように思われましたか。

 

今、ゆうき君は小学生。素直で心優しい少年に育っているそうだ。

 

 産んで貰って命を頂き、いいご縁で家庭の温かさを感じながら生きているゆうき君は、幸せだ。彼はきっと、この毎日を忘れないで過ごし、将来のバトンを渡していく人になるに違いない。それを心より祈り、願っている。

9月1日の朝刊に4つも興味題材発見

 皆様、おはようございます。

本日より9月が始まる。いつも朝刊を見ても特に興味深いものは発見しないのに、本日は違った。なんと4つも見つけたのだ。本日は、そのことをご紹介する。

 興味をもったのは、以下4点。

まず、家庭養護促進協会の催しで、乳児院児童養護施設から引き取り、今子どもを育てている人が会ったことのない生みの母親へ書いた手紙が代読されている様子とその現状。

次は、打って変わって卵子凍結を選んだ人の話。

さらに次は、54歳で若年性認知症と診断された人の話。

最後は、新学期の始まりに必ず取り上げられる子どもの学校不登校問題の話。

 我ながら、8月中は取り上げずに、9月まで貯めて置いてくださっていたのかと、4つもの話題の多さに驚いた次第だ。

 明日から、順にアップしていくので、お楽しみになさってください。

人生相談の回答に敬服した朝

 毎週土曜日の朝は、『悩みのるつぼ』の読者の悩み事相談と回答が掲載される日。

 今朝は、タレントの野沢直子さんの回答の日。

悩み事の主は、高校3年生の理系志望の息子に、文系の早稲田大学出身のご主人が大学マウントを取ってくることに対してお悩みとのこと。

 野沢直子さんの回答が理路整然としていて、読んでいて気持ちが良い。

まず、彼女のこの文章に敬服したので、ご紹介する。少し長文だか、それを頭に入れた上で読み進めてほしい。

『頭脳明晰な人というのはその場に応じて的確な判断ができる人、あるいはゼロから何かを創り上げる能力のある人のことを指すのだということが認識されて、名前のある大学を出てもそういった能力がない人は企業に入っても即戦力にはならず、リストラされるのが今の時代なのではないかと思います。◯ご主人が就職活動をしていたころとは、おそらく変わってきていると思います。◯ご主人が過去に早稲田に入るために努力したことは素晴らしいのかもしれませんが、とりあえず自分の息子に大学マウントをとるなど親としては言語道断だと思いました。◯ましてや、相談者さんに「お前が甘かったから、息子がこうなった」といったようなことを言って子育ての結果を妻一人のせいにするなども間違っていると思います。◯ですが、旦那を正そうと争うのは時間の無駄ですから、とにかく大事な息子と二人で進路のことを進めていくとよいと思います。◯その上で、母親として何をすべきか。◯まずは、息子さんのいいところをたくさん見つけて、お母さんだけは力一杯褒めてあげてください。母親からもらった褒め言葉というのは偉大で、それはその子の心に一生残る説得力があると信じています。お母さんからぜひ、あなたが努力しているのはわかっているよ、と言ってあげてください。お父さんに腹が立って口を聞かなくなっている今、誰かが自分のことを理解してくれていると思ったら、息子さんはどんなに嬉しいでしょうか。◯そして、お父さんがなんと言おうと、お母さんはあなたの味方だよ、ということをはっきりと言葉にして伝えてあげてくださいね。その後は、相談者さんがおっしゃったように、息子さんが将来やってみたいことにつながることが勉強できる大学を見つけて欲しいです』

 

 回答を読まれて、どう思われましたか。

その通りなのでは、ないかな。

 野沢直子さんのアドバイスに従って、息子さんと接していかれると彼の行きたい大学と出合い、その門を開くことができると思う。

 桜の花咲く頃、お二人で記念撮影される様子が目に浮かんできた。

 

いま子どもたちは、ネット依存の先

今朝の新聞に、興味深い題目を見つけて熟読したので、皆様とも共有させて頂きたいのでご紹介する。

 

 題目の主人公は、24歳の社会人。家から出て今は仕事をし、家賃を払えているそうだ。

今回、彼のことを綴っているのは、お母さんだ。息子がスマートフォンのゲーム依存から睡眠障害になり、私立高校には1日だけ行って中退してからどのように付き合ってきたかの経緯を説明している。

 そして彼女が、お母さんは、どうすれば良かったかの答えを教えて頂いている。

「いつか学校に行ってくれるのでは。受験勉強をしてくれるかも。ずっとそんな期待を背負わせ続けた。それが落胆に変わり、責めてしまった。何より、息子が期待に応えられない自分自身を責めていたのかもしれない。振り返って、そう思う」

 

 彼女の真意を読ませて貰って気がついた。

だから息子は、昨秋に母親から正式に家を出て行くように言われた時、決断し、当日に「大丈夫?」と問う母親に「なんとかするよ」とそっけなく言ったのだろう。

  彼は、自分の母親が自分自身を責めている姿を見るのが、辛かったのではないかな。なぜなら彼は、これはスマートフォンのゲーム依存で昼夜逆転した原因の大部分は自分にあることが分かっていたはずだから。

だから、自立することが今までずっと心配をかけ続けた母親を安心させることだと分かっていたのかもしれない。

 

 皆様は、どのように思われますか。

連載『さらば毒親』の中編を読んで

 皆様は、『毒親』という言葉をご存知ですか。

この言葉に?が過ると更に?が増えので、簡単にご説明しておく。

毒親とは、子どもを支配したり、傷つけたり、虐待したりして、「毒」になる親のこと』

 今回は、その新聞連載の中編。

 今回の主役は、結婚して初めてテレビのような団らんを知った女性。

 

 彼女は、37歳になり、不妊治療を経て、現在0才児を育てている目も手も離せない大変な時期を過ごしている。

その中で、母親の住む地が被災地に含まれるので、いてもたってもいられなくて4年振りに、電話した。

すると、毒親である母親は、こう返した。

「お姉ちゃんたちが帰省してて、仕事でもどらなくちゃいけないから、あんた車で迎えに来て」

 

 この言葉を読まれて、皆様は、どう思われますか?

 『普通』の母親であるならば、「あんたは今どうしてるの?元気にしてるかな?お母さんは、お姉ちゃんたちが帰省していたから、なんとかやってるよ。心配しなくていいよ」と返す。そして、車で迎えに来てなんて、一言も口にしないのでは、ないかな。

 

 『毒親』という親が現実に存在するように、『普通』の母親というのも、何が『普通』なのかがわからない状態が事実だ。

だから、私達も、常に『普通』がどうであるかを問い掛けて、客観的に考えることが必要である。

 

 本日の主役の彼女は、悩んだ末に、母親にこうメッセージを送っている。

「私の赤ちゃんは、目も手も離せない時期です。ごめんなさい。どうかご無事で」

 これを読んで、これでいいと思った。しっかりと母親との縁を断ち切った⁉ことが潔く感じ、気持ちがスッキリと清々しくなった。

 

 毒親との縁を断ち切ることは、自分は自分として生きていくと心に誓うこと。そして、自分の人生を生きること。そうすることで、自分の幸せを感じ、体感していける。

 

 皆様は、どう思われますか。