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医療事故で逝った息子に導かれ

 今朝のフロントランナーは、医療事故で息子さんを亡くした豊田郁子さんだ。

彼女は、17年前に5歳だった長男の理貴ちゃんを医療事故で亡くし、今は「患者•家族と医療をつなぐNPO法人架け橋」の理事長をされている。

 彼女は17年前に、激しい腹痛を訴えるご子息を抱えて病院に駆け込んだ。一度帰宅したが痛みが引かず、午前7時半に再受診。X線撮影、浣腸などをした。2時間後、「血液検査の結果は異常なし」と告げられたが、希望して入院。病院に医師は来ず、大量に吐血し、夕方、息を引き取った。 解剖すると、死因は「絞扼性イレウス」。腸が2カ所ねじれて壊死し、緊急手術が必要だった。対応の遅れを問うたが、病院は「医師は最善を尽くしたと言っている」と繰り返した。後になって、点滴などで治療できる「麻痺性イレウス」を疑い、漫然問う経過観察し適切な治療の機会を逃していた問う認めたそうだ。

 彼女は病院の対応に何度も傷つけられた。病院を恨み、その病院に息子を連れて行った自分を責めた。その後、同じ境遇の遺族に声をかけられ会合などに参加。病院で出会った新葛飾病院の故清水陽一院長に「うちで医療安全なら担当として働かないか」と誘われた。 2004年秋に入職、医療安全対策室•患者支援室の責任者として働いた。患者•家族の不安や疑問に耳を傾け、医療者につなげた。遺族を招いての医療安全研修も実施した。 そして、御子息の死から2年半、連絡もなかった病院から突然、和解の申し出があった。裁判を起こしても再発防止にはつながらないだろうと仕方なく応じたそうだ。 半年後の命日。墓前に花が供えてあった。病院からだ。彼女はこの時、前年までは偽善に見えたのに「あっ、私もう恨んでいない」と感じたそうだ。和解手続きの中で病院側弁護士が丁寧に話を聞き、「命日前後1週間を医療安全推進週間にしたい」と提案してくれたことで心に変化が生じていたそうだ。その足で病院を訪ね、庶務課長に気持ちを伝えた。廊下にひとりの看護師が立っていた。「あの日当直をしていた看護師です。3年間ずっと謝りたいと思っていた。本当にごめんなさい」その勇気に心を癒されたそうだ。

12年前からは医療安全への取り組みを院外にも広げて、「患者•家族と医療をつなぐNPO法人架け橋」を設立し、シンポジウムなどを実施してこられた。彼女の言葉が清々しい。「かつては憎んだ医療を、今は医療者と共によくしたいと心から願う」

 17年間(特に2年半)どれだけ辛く苦しい毎日を過ごしてこられたか、胸が詰まって泣いてしまった。それと同時に、彼女は元々器が出来ている方なんだろうと想像した。なぜならば、普通は責任者までにはならないからだ。

彼女に声を掛けて貰えた遺族は、どれだけ癒されただろう。

 辛さを知ってこそ分かる悲しみは、同じ体験をした人でないと分からない。言葉も響いてこない。

 彼女の「かつては憎んだ医療を、今は医療者と共に要したいと願う」の言葉に、もう2つプラスしたい。

それは、力強さと爽やかさだ。

 皆様は、どのように思われましたか?