新聞のタイトルは、「かあさんのせなか」だが、この方には、「かあちゃんのせなか」がしっくりくる。
まず書き出しは、「僕は強烈なお母ちゃん子でした」から始まる。その理由は、以下のことから分かる。
お母さんは内職中に、よくテレビで甲子園の試合を見て貰い泣きをされていたそうだが、野球を覚えたのも、お母さんのおかげ。中学から報徳学園で野球をさせてくれと毎日父親なら土下座して頼んでいた時に、清掃員の仕事を始めて、父親を説得してくれたのも、お母さんだったそう。
金村さんが親孝行出来たのは、高3の夏で優勝したこと。お仕事を休んで、応援してくれたそう。
金村さんの文章には、こう書かれてある。
「母親と僕はあんまり似すぎていて、ぶつかるんです。もう少し弱くなってくれと言いたい」
きっと、背中を見て育ったから、元々の気質もあるが、一卵性母息子になったのかな。
金村さんのお母さんの凄いことが書かれてあった。
『6月に父親が死に、納骨で東京から僕らを呼んだんです。僕の3人の息子含めた孫たちに「渡したいものがある」って言って、まとまった現金をくれたんです』
これはなかなか出来ることではない。それをさらりとやってしまうお母さんは、かっこいい。
締めに書かれた文章に、ぐっときたのでお伝えしたい。
『プロを引退して無職だった時に昔の母親を思い出して、「俺だってやれる」と元気をもらいました。あの人があって僕がいるということだけは、忘れないようにしています』