恥ずかしながら、哲学者の戸田山和久さんのことは
無知だった。
同じ無知でも、意味の違う無知の意味を彼から教えて貰う。
それは、これ。
エッセー「とびだせ教養 」4月号より抜粋。
人は学ぶ前に、つい、こんなの勉強して何になるの、と問う。
が、学ぶことの意味は、じつは学んだ後でしかわからない。
世界には、自分が知らない領域が「 想像をはるかに超えて広がって 」いることをこれまでらくに知らなかったと思い知ること、つまり「 無知の無知の知 」
こそ〈 教養 〉というものだ。
その通りだ。
学生時代に「 どうして◯◯さんは、勉強が好きなんだろう 」「 何でも知っているんだろう 」と疑問に思ったままにしていたことが蘇った。
そして今、その答を明白に頂いた。
それは、疑問符が沢山あったから、その無知を知にする為に調べたりしていく内に、分かる喜びを体得したからかな。
日本の最高学府で学ばれた戸田山和久さんに、改めて敬意を評したい。
そして、長年の疑問解消へのお礼を申し上げたい。