思いの丈☆宅配便

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十代目 松本幸四郎に敬服

やっと心が目の覚めるコラムに出合う。

新聞の「ひと」だ。

歌舞伎の大名跡を襲名した十代目 松本幸四郎さん(44)とタイトル•共に、きりりとした横顔が写っていた。

書かれている文章に、自身も彼と同化した。

 

「プレッシャーもあります。少しは親孝行になるかな。でも、名よりも、何をしていくかということが大事です」

  20歳の頃、正座がつらいことがあった。声も出づらかった。理想とする姿と自身との開きにも悩んだ。

「向いていない。やめたい」。悩み抜いた揚げ句、「歌舞伎が好きという一点で一番になろう」と吹っ切った。

 

この最後の「  」の心意気に敬服した。

上手で一番にはなれないし、判断も不可能。

でも、好きというのは、その人の顔や仕草に表れる。

だから、とことん突き進めていける。

きっとそれが客観的にお分かりになるのは、全てをご存知のお天道様だけではないかな。

 

まだ彼がお父様•お母様と三人で出演されていたコマーシャルの若々しい姿が、記憶に残る。

あれから彼は、どれだけ切磋琢磨して歌舞伎の道を歩んできたのか。

 

結びの言葉にぐっときた。

 

「最近、汗の量が減ってきた。無駄な力が抜け、ほどよい力で自己解放できている証拠。『歌舞伎職人』という言葉にもひかれます」

 

日々の努力は、身体が覚えたようだ。

いつか、ご子息が同じ名前を襲名される時に、父親としての言葉を見てみたい。

 

 

 

北翔海莉のおやじのせなか

 このコラムを読んでいて、春休みの思い出が過った。

  北翔海莉は、皆様ご存知の、元宝塚のトップスター。

彼女のお父さんは、海上自衛隊パイロットだった。お兄さんも、自衛官。だから、彼女自身も、迷わずに続くつもりだったそう。

ところが、背が高かったことで中学校の先生の勧めで、40倍の宝塚音楽学校を受験したことから、進む道は変わった。

   彼女のお父さんは、娘に掛ける言葉が違う。

宝塚音楽学校の合格発表には行かずに、高校の入学式に出た娘の代わりに、出張のついでに見に行ったのは、お父さんだった。

落ちて泣き崩れる親子を見て「入りたくても入れない人がいる。やり遂げる責任がある」と不安だった15歳の彼女を送り出してくれたそう。

   トップになる前に辞めようと思った時は「自分がやり残したことはないか」「支えてくれる人に納得するものを与えられたか」と問われたそう。

そして、軍人役の時は「敬礼がなっとらん」と所作や言葉遣いにはうるさかったそう。

退団公演での軍人役では(役の上で)「僕の階級を超えた」と笑い、「穴を開けず舞台に立てたことに感謝しなさい」とねぎらって下さったそう。

   それでは、本日の最初の一文に戻る。

春休みに、息子の入学祝いに、息子からのリクエストで出掛けた所は、鹿屋の海軍基地だった。

中を案内して下さった方が、出口の所で話されたことが今も頭に残っている。

「宝塚の北翔海莉さんのお父さんは海軍の方で、ご自分が退官される時に、ご挨拶に来られました」

 

北翔海莉が「私が男役で軍服を着て髪をリーゼントにしたら、父にそっくりなんです」と言うように、きっと凛々しい方なのだろう。

たとえ、娘が自衛官にならなくても、違う世界で、自分の生きる世界を観客として見れたことは、とびきりの親孝行だったに違いない。

久しぶりに、心熱くなる父娘の話を知ることが出来た。

改めて、こんな素敵な話を公開してくれた北翔海莉さんに、お礼申し上げたい。

感謝。

 

大竹しのぶ、まあいいかで涙

 我がブログには、大竹しのぶの まあいいかがよく登場する。

本日は、大竹しのぶのお母さんから彼女に届いたハガキのお話。

   一ヶ月の「にんじん」東京公演の後、10日間の大阪公演を終えて、帰宅された時のこと。

充実感と疲労感と淋しさが込み上げてきた時に、机の上の一枚のハガキが目にとまったそう。

それは、留守中の大竹しのぶにお母さんが書かれたハガキ。

「舞台お疲れ様。大変でしたね。身体は大丈夫ですか。舞台は面白かったです。しのぶは本当に子供に見えました。こちらは元気です。いつもありがとう」

このハガキを読んで、大竹しのぶは、明日からのエネルギーが湧き上がってくるのを感じることが出来たそうだ。

彼女が、これを受けて、お母さんに心から返した言葉に涙を貰った。

ご紹介する。

「お母さん、あなたにもらった気力と体力で、また一つの仕事をやり終えることが出来ました。明日からまた頑張って、全てのことを乗り越えてゆきます。ありがとう。おやすみなさい」

 

私自身の心の隅々まで、彼女の純粋な母親への感謝の思いが染み渡った。

一挙に淀みがなくなった。

 

親への感謝の気持ちほど、美しいものはないと実感した。

花も人も、命は一瞬一瞬

 題字は、華道家池坊の次期家元、池坊由紀改め専好さんの言葉だ。

彼女も、もう51歳。

結婚前の24歳時に書かれた本の、初々しかった頃を知っているので、それからの27年間がどんなものであったのかが、この言葉で分かる。

    いずれは、家元を70年以上務めているお父様の専永さんからバトンを渡される。

現在は、「花も人もそれぞれ。父の道を大切にし、自分らしさを出せれば、と思います」と世界に敏感でありたいと朝夜に英BBCや米CNNニュースを見ているそうだ。

「紛争や移民問題、環境破壊など凄まじい体験であふれている。家元継承を重いなんて言ってられないです」としっかり現実を直視。

池坊史上初の女性家元になるが「華道では性別は意味がない」とハッキリ。

そんな彼女だが、「好きな花は?」と尋ねられるとこう答えた。

「スズランやユリといった、奥ゆかしくうつむいているような花が好きです」と。

24歳時と本質は変わっていなかったことに、ほっとした。

   インタビューの最後に、「自分らしい華道哲学とは?」に対しての答えが、いつまでも頭に残った。

 

「今を生きる、です。思い通りにならず、悩み事がのしかかり、もがいたこともあります。でも、過去の後悔、未来の不安ではなく、今に集中して、今に生き、後は天に任せるのです。…命は一瞬一瞬、花も刹那刹那。人と花は、瞬間を生きています」

 

同じように、今を全力で生きていきたい。

 

道が2本、3本という生き方

 永江朗さんの生き方に、目が留まる。

そう、私の生き方も同じだから。

 

 ちょっと前の昭和の時代、道ひとすじに打ち込む姿は、誇らしく、輝いてみえた。

永江朗さんは、フリーライターとして、ご自分の考えをこう結ばれている。

『でも道が2本、3本あって、「これも、あれも」という生き方もいいではないか』

 

実は私も3本の道の生き方を歩んでいる最中だ。

決して、欲張っているのではない。

3本とも、自分にとって必要な道だから選んだ。

が、まだまだ先は、何も見えていない。

でも、不安よりも何故かワクワク感がある。

人並み外れて不器用なればこそ、叶えたい三道。

 

人は皆、誕生の時に、何かのお役目を頂いて、舞い降りてきた。

それを、これからの人生で、達成させたい。

そして、3本ともに全力投球で、地に足をつけて、生きていきたい。

 

皆様も、いかがですか?

ひとすじの道から2.3本の道へ。

栗原はるみの料理家出発の一語一会

さて、何だと思われますか?

意外にも それは、ご主人の栗原玲児からの言葉だった。

「ぼくを待つだけの女性であってほしくない」

 

これは、男のエゴじゃないの?と思った。

はるみさんも チラッとそれは認めている。

「妻は家庭に、がまだ当たり前だった30年以上も前。進歩的な発想でした。もしかしたら毎晩遅く帰る自分をじっと待っている妻が重かったのかもしれません」

 

それから夫が自宅にひんぱんに招くスタッフへのもてなし料理が評判となり、料理番組の裏方の仕事の声がかかる。

あの一言が後押しになって外の世界に飛び出したそうだ。

 

彼女の娘さんも現在は、子育てをしながら料理家として活躍しているが、娘さんは病気がちで、よく入院していたそう。

ぽろんと出た雑誌の溢れ話に胸が詰まった。

 

「母は忙しくかったので、偶に、入院の病室に手作りのお弁当を持ってきてくれたことが、嬉しかった」

 

決して絵に描いたような生活だったのではないことが分かる。

だからこそ、皆さんのご存知ない思いを乗り越えての今がある。

 

「主婦として家族においしいものをつくりたい」という優しさが彼女の心根。

元々お料理が上手であったことと、ご主人からの言葉に対する負けたくない気持ち⁈が、彼女をここまでにした。

 

あの温和な笑顔の裏の芯の強さに、大きな敬意を評したい。

 

悲しいことを泣き叫ぶ以外の方法で❗️

最果タヒさんの言葉に、朝からドキっときた。

 

私達は、悲しい時に、そのままでしか言葉に出来ない。

だから、余計に感情が溢れ出して、涙の洪水となる。

もっと違う表現が、出来ないかな。

そう、辛い時にこそ、線香花火のように、心のともし火を表したい。

いや、逆に、打ち上げ花火のようなお祭りの余韻を、ドカンと残していこうかな。

皆様は、いかがですか?

 

リズミカルに、いきましょう。