思いの丈☆宅配便

書いて読んで繋がりませんか!

30年後にもらった合格点

この題目に引き込まれた。

これは、お馴染み、大竹しのぶの「 まあ いいか」に書かれていたのもので、

歌舞伎役者の勘九郎のお嫁さん• 愛さんから、大竹しのぶへに送られた合格点を表している。

 

愛さんは現在、小1と幼稚園の男の子の子育てに毎日クタクタになりながら奮闘中。

大竹しのぶは、亡き中村勘三郎の誕生日に友人達と集まっていた時に、二人の孫ちゃんの相手になりながら、ほっと一息ついた時に、彼女と話している。

 

大竹しのぶは、この時に、昔の自分の子育てを思い出して、彼女に語った。

当時忙しくて、長男もしっかり見てやれなかった時の幼稚園の参観日で、母と別れてからの行動を映画の巻き戻しのように見せてくれるのを見て、少し悲しくなった時の大竹しのぶに、愛さんが言った。

「 子どもは本当に可愛いですね。二千翔君、お母さんに見てもらえて嬉しかっただろうなぁ。私も明日から頑張るぞー。しのぶさん、ありがとう 」

 

母親は、毎日毎日、精一杯生きている。

子育ては特に、ハプニング続きの連続ドラマだ。

だから、毎日が完結でないからこそ、30年後に合格点をもらえることもありえる。

信じられないけれど、本当の話。

 

この日は、二人にとって、忘れられない日になったことだろう。

もしかして、これは、亡き中村勘三郎さんの粋な計らいかもしれないね。

合掌。

 

昭和の女子学生の伝言に拍手

朝から、ザ•コラムを一息で読み切る。

この内容には、息継ぎの必要がなかった。

差別とは言わぬまでも、平成の女子学生にはちょっとピンとこないかもしれない。

一つ時代が変われば、こんなにも世の中は変わるのか?

 

新聞の編集委員の彼女の纏めの文章が素晴らしい。

拍手をした私から読者の皆様へ、語り伝えるように

そのままを綴る。

どうぞ、しかと一読頂きたい。

 

立ち向かった人が切り開いた道も、逃げたりあとずさりした人が踏みしめた道も、自分だけが歩くけもの道。折り重なって少しずつ、社会を変えていくのよ。

 

もう、結婚退職が寿退社で当たり前だった時代ではない。

子供を産んで半年もすると、決まった時間内だけ顔を出し、保育園に預かって貰えるようになると、最初はフレックスから、やがてはフルで働けるようになった。

女性の多い職場には、その中に、保育園もある所が増えた。

男社会だったバスや電車やタクシーの運転手に、女性が定着した。

 

もう女性は職場の花から、根を張ったリーダーに変わった。

 

勇気が出る哲学者の言葉

恥ずかしながら、哲学者の戸田山和久さんのことは

無知だった。

同じ無知でも、意味の違う無知の意味を彼から教えて貰う。

それは、これ。 

エッセー「とびだせ教養 」4月号より抜粋。

 

人は学ぶ前に、つい、こんなの勉強して何になるの、と問う。

が、学ぶことの意味は、じつは学んだ後でしかわからない。

世界には、自分が知らない領域が「 想像をはるかに超えて広がって 」いることをこれまでらくに知らなかったと思い知ること、つまり「 無知の無知の知

こそ〈 教養 〉というものだ。

 

その通りだ。

 

学生時代に「 どうして◯◯さんは、勉強が好きなんだろう 」「 何でも知っているんだろう 」と疑問に思ったままにしていたことが蘇った。

そして今、その答を明白に頂いた。

それは、疑問符が沢山あったから、その無知を知にする為に調べたりしていく内に、分かる喜びを体得したからかな。

 

日本の最高学府で学ばれた戸田山和久さんに、改めて敬意を評したい。

そして、長年の疑問解消へのお礼を申し上げたい。

羨むと妬むの違いを知ること

この言葉に朝から衝撃を受け、デンキが走った。

羨むと妬むは共に同じ意味だと思っていたから。

 

共にあまりよい言葉ではない。

が、「 何くそ、馬鹿にされたなら、絶対に見返してやる 」の対抗心に捉えてやってきたから、今がある。

 

羨むは、妬むと紙一重なので、1つ捉え方が間違うと卑屈な屈折した心の塊になる。

 

イラストレーターの汐街コナさんは、高校の現代文の先生に、こう教わったらしい。

自分より上の人を「うらやむ」 のは「 自分をその人

の位置まで高めたいと思う」こと、「ねたむ」 のは

「その人をその位置まで落としたいと思う」こと。

 

今回のまとめでは、こう締めくくってある。

「 人を引きずり下ろすより、自分もそうなりたいと思うほうが幸福への距離は近い 」

それは、理想である。

なかなかそこまではいかない。

でも、切磋琢磨でそれを繰り返してきて一区切りつくと、違う自分になれる。

すると、以下の言葉に変えられるから、不思議である。

 

「くそおっ」と思うことがあった時は まず、

 妬む気持ちを羨む気持ちにすり替えてみましょう。

そうして、心根にはいつも「 見返してやる 」のハングリー精神を持ち続けて努力しましょう。

そうすれば数年後には、兎と亀の亀にように、山の頂上でVサインです。

その頂上で得られたものは、頑張り抜いた達成感と心身共に大人になれた自分を客観視出来る力です。

きっとその頃のあなたは、今までとは逆の、うらやまれる人になっているはずですよ。

 

 

 

 

 

 

子供は親の目が届かないところで育つ

朝から目が釘付けになる。

本日の折々の言葉が、秀悦だ。

臨床心理家の河合隼雄の言葉『 だいたい子供というものは「 親の目が届かないところ 」で育っていくんです 』が載っていた。

正しく その通りだと思いませんか?

大きな声では言えないが、元子供の私達は、親、いや先生のいないところで、冒険をして今大人になってきた。

もちろんそれは、仲間と一緒にね。

見つかれば怒られらるようなことも経験済みかな。

でもそれで、一歩間違えば、大怪我をするような怖さも知ったよね。

本を読んだだけでは分からないことを、本当に教えて貰ったのは、林間•海学校なんかかな。

近年齢の集まったリクレーションだったかな。

そう考えると今、塾に早くから拘束される子供達には、そんな経験が出来なくなっている。

残念というか、ある意味危険だね。

してよいことといけないこと、どこまで人を頼りにできるかの学びがない。

これは、現代の子供を持つ親への緊急課題かもしれないね。

 

声に出して自分を褒める大切さ

私達は、毎日、精一杯生きている。

しかし、よっぽどの善行をしないか、オリンピック選手のような記録を残さない限りは、評価されない。

むしろ、折角、人に喜ばれることをしても、ありがとうすら言われないことが多々ある。

そんな時、ちょっと拗ねてしまいたくなったりしないか?

私は、自分に聞こえるように「 よくやった。えらかったよ 」と褒めることにしている。

常日頃、自分に一番シビアな私だからこそ、その褒め言葉は、明日への活力になっている。

 

どうぞ皆様も、頑張った自分に、褒め言葉を掛けてみませんか。

本当の優しさについて

ひと、で摂食障害に苦しんだ塚田万理奈さんを知る。 

彼女は大学3年の時に、将来が見通せないストレスで食べ過ぎ、ダイエットに取り組んだ。

結果、細くなるのが嬉しくて体重は30キロになり、体重の戻りが怖くて吐き、空腹で眠れない日が続いた。母親には、泣いてキレたそうだ。

そして、病院へ行き、病院で知り合った女性のこんな言葉で救われた。

「 あるがままでいいのよ 」

この彼女と家族の 「 ダメな私を受け入れ、寄り添ってくれる 」おかげで、1年後に「 大丈夫だ 」と思えるようになった。

 

塚田さんが、この自分の体験をもとに摂食障害を描いた映画が、5月に東京、6月に大阪で上映される。

撮影現場では支えてくれた人たちのやさしさを思い、何度も泣いたそうだ。

彼女は、こんな言葉を残している。

「 生きることに痛みを感じる人は、やさしくなれる。」

 

誰だって、優しい人になりたい。

形だけの優しい人になるのは、簡単だ。

でも本当の優しさを知っている優しい人になるには、ハードルが高い。

なぜって、それは、誰も辛い思いはしなくないから、体験がない。

あってもその中身が薄い。

 

本当の優しさは、辛い•苦しい•悲しい体験を数多くした人じゃないと分からない。

どうすれば、辛苦悲を分かち合えるか?

言葉じゃない。

目を見て、相手の口から溢れる言葉を全て、聞いてあげることかな。

そして、楽な道としんどい道があるならば、後方を自ら選ぶこと。

 

この世には、色んなタイプの人がいるけれど、優しい人で一杯にしたいなあ。