思いの丈☆宅配便

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仕事の選び方

自分のやりたい仕事について考える時、皆様は、何を重要視されるか?

やっぱり、好きなものを基準にするかな。

ところがどっこい、そうでない人もいた。

それは、折々のことばで知った。

 

「 自分の中の『 N O 』を知っていることが、羅針盤となることもあるのだ 」

 

ある写真家は、かつて勤め人だった時、妻に今の仕事をずっと続けるつもりかと問われ

もちろんと答えると、「 は?つまらん 」と言い放たれた。この反撃に「 フツウはこうする 」に流されないのが自分の性分だったと気づいたから、「 やりたくない 」ことを一つ一つ外したのち、今の道を選んだそうだ。

 

改めて多人多色が実感される話である。

私達は、あくまで「 普通 」という基準で物事を判断する。

でも、カチンとくると全く違う発想も浮かんでくる。

時には、穏やかな感情に、波を立たせていくことも大切。

そこで、個性が浮き上がる。

 

皆様も、そして斯く言う私も、こんな考え方で、物事を捉えてはどうかな。

仕事という三度の飯の次に生きる指針となる事も、よりリアルに刺激的に変わるのではないかな。

 

 

寺島しのぶの母心に拍手👏

寺島しのぶの4歳の長男が、初舞台を踏むことが決まった。

そのインタビューの後の、寺島しのぶの言葉がいい。

「 これがやりたい、あれがやりたいといってもそう簡単に、いくものではない。そこは彼の自主性に任せたいと思う 」

 

歌舞伎界に生まれたが、女性であるが為に、歌舞伎役者として舞台を踏むことは出来なかった。

その悔しさは、文字で目にした。

それを知っているだけに、フランス人のアートディレクターとの間に男児が誕生したと聞いた時は、心からおめでとうと思った。

更に嬉しかったのは、彼女が決して出しゃばっておらず、息子を見つめながら言葉を選んでいたことだ。

 

きっと、ご自身のお母様と同じ母としての道を進んでいかれるのだろう。

母になって知る母心かな。

より母性に満ちた母親になっていかれることを、見守っていきたい。

 

『 歌舞伎界初〝日仏ハーフ〟眞秀( まほろ )君 』

に乾杯🥂。

麻央さんへ💐貴女が元気でいることの意味

新聞にも、ブログにも、『 麻央さんブログ 読者200万人達成 』のお祝いの文字が載った。

正直、200万人がどの位なのか想像もつかない。

それ位に、沢山の方が、読まれているということ。

みんな、麻央さんが生きてることが、嬉しいし、励みだし、自分も精一杯生きようと思わせて貰ったに違いない。

だから、感謝の気持ちを伝えたい。

 

少し前に、娘さんのれいかちゃんが、「 今まで頑張ってきたのだから、まだ頑張りなさい 」とお母さんを叱ったことがあった。

麻央さんの今日の裏に、家族の支えがあったことは忘れてはならない。

 

果たして5歳の頃の私に、れいかちゃんのようなことが言えたか?

言えるわけがない。

彼女は、精神年齢が高く、芯の強い子だ。

そして、お母さんが大好きでもある。

 

麻央さんが元気でいることの意味は、支えてくれている家族の深い愛に応えること以外、ない。

 

私達は、「 え? 麻央さん、まだ生きてたの? 」と

言って、貴女のご希望に添えたい。

 

どうぞ、緩やかな時が流れていきますようにと祈る。

 

 

世の中は、こども と もと こども でできている

 このことばは、童話作家富安陽子の言葉である。

意外に気付かず、忘れてしまっている。

思わず、私も最初はこどもだったじゃない、と背筋を正したくなったと同時に、反省の念が込み上げる。

なぜなら、知らぬ間に、現在のこども

 

 

に対して、生意気な口調を繰り返ようになっていたからだ。

    当たり前に、昔自分がこどもだった頃は、大人が疎ましかった。

どうして、もっと同じ気持ちになってみてくれないの?って心の叫びをぱんぱんにしていた。

なのに、いつの間にか20歳を過ぎて、世間的に大人だと認められると、あの頃のことを忘れてしまった。それは、実に悲しいこと。

でもね、今でも、虹を見た時の込み上げてくる感動や、温かい言葉に触れて涙が目に浮かんでくることはあるの。

これは、これからもずっと持ち続けていきたいな。

そう、私も昔は、こどもだったのだから。

 

人生は、自分が主役

この言葉は、料理研究家ヤミーさんこと、清水美紀さんが、学生時代のアルバイト仲間から言われたものだ。

この言葉が、現在、ご自身の料理ブログの読者登録者数2万を超えるまでになったきっかけである。

    誰だって、最初から凄い人ではない。

その他大勢の中の一人である。

その中から頭1つ分抜きん出るには、伸び悩んでいる時に、どれだけ「 くそぉ、今に見てろ 」と思えるかだ。

その思いの強さと努力を重ねる毎日が、結果となる。

   さあ、私達も、彼女のように、自分の描いた人生の中で主役になってみませんか?

 

 

がん教育に取り組む教員免許を取得した医師

 癌は、今や誰もが知っている難病である。

芸能人の闘病記録は、本にもなり、ドキュメンタリーとなると涙と高視聴率を取る。

しかし、身近に衣食住を共にしないと実際のところは分からない。

そのことに対して憤りを感じ、髪の毛が抜ける癌患者への知識と理解を考えて、教員免許を取得した医師がいる。

彼の名前は、林和彦。

中学の時に父を癌で亡くし、医師を志す。30年間、食道癌の外科医や緩和ケア医として約3千人の患者を見た。3年前に学内の癌センター長に就いてから、小中高校を訪ねて、がん教育に取り組むようになった。大学教授だが、人に教えることを学んだことはなかったので、通信課程の大学に編入、教育学部で授業の進め方や教材の作り方を学んだ。病棟を早朝に回診した後、日中は都内の女子高で教育実習も受け、1月に中学•高校の保健教員免許を取得。

学校の教師達が「 仲間意識を持って受け入れてくれるようになった 」と喜ぶ。そして、子供達に癌を正しく知って貰えば、社会で長く生かしてもらえると『 「 がん 」になるってどんなこと?』を出版した。

 

彼の現在までやってきたことは、どうすれば癌患者の本当の姿を知らない子供から老人までの健常者に理解して貰えるか!が元になっている。

地頭が良い上に、生きていく上でも賢いからこそ成し遂げることが出来た。

彼の努力の積み重ねを知り、今の自分に満足することなく、更なる高みを目指して生きたいと強く思った。

そして、

知力は、皆平等であるということを実現する為に生かされるべきだと伝えたい。

 

   人は、生まれながらにして、神様から可能性という宝物を頂いている。

それに早く気付き、形にして、人のお役に立てるようになることが、この世に生を受けたご恩返しではないかな。

 

最後に、彼の楽しみを紹介しておく。

   楽しみは、授業の後に子供達に記入して貰うアンケートを読むこと。「 1時間の授業でも、凄く変わる。家族の健康を気遣うようになる姿を目の当たりにできるのが嬉しい 」

 

 

 

 

天が与えた三物を持つ人

 天は二物を与えず、とは聞いた言葉である。

しかし、三物も与えた人も世の中にはいる。

そのことを夕刊記事「 元プロボクサーの医師、どうして仏門に? 」で知った。

  彼について、少しご紹介。

京大医学部出身のプロボクサーとして注目され、西日本新人王にもなった川島実は現役引退後、医師になった。その後、2014年秋、仏門に入った。

ボクシングと並行して3度の挑戦で国家試験には合格し、主に救急医療の現場で活動した。

仏門入りのきっかけは、ボランティアで訪れた中高の先輩だった僧侶に誘われた。もともと出身校は東大寺が設立しており、仏教は身近だった。

「 世の中を良くするために、個人ができることを全うする。それはお坊さんが世の中の平安を祈ることと通じる 」と思うようになった。

父の病気もあって14年春に地元奈良市に戻り、得度。現在は関西圏の複数の病院に当直医として勤務しつつ、月6日は東北の被災地で診療をしている。

 

切り離して考えると、3人の人の話のようである。

が、違う。

1人の人間がなし得た快挙である。

東大寺という中高に通ったというご縁も関係する。

京大医学部に入って医者になれるというのも、与えられた知力、ボクサーになれるのも、与えられた体力、いや1番は努力を重ねられるという強運もある。

 

最後に結ばれた言葉が凄い。

東大寺での研修では「 家族などすべての道を断ち切れ 」と教えられた。極端な言葉に聞こえるが、要は「 自分と見つめ合うこと 」と解釈している。それは

ボクシングで学んだことにも通じている。

 

天は本当に成し遂げられる人にしか、三物は与えない。👏