思いの丈☆宅配便

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歳を重ねることで得られるもの

 折々のことばで、芸能界を一世風靡した俳優の言葉を見る。

「役者やっていて一番嬉しいことは、おれと一緒のシーンに出たやつがよう見えること」

知る人ぞ知る、火野正平の言葉である。

  思わず、仰け反った。

彼の若い時には考えられなかった言葉だから。

  彼は、歳を重ねることで、自分が輝くよりも、自分が横にいることで隣の人がもっと輝くのを歓ぶ俳優となった。

そして、自分が歓ぶのではなく、他人を歓ばせて自分も歓ぶというのがあたりまえのようにできるようにもなった。

  これは、年齢である。

俳優は、歳をとると、若い時のような主役も頂けなくなるし、メークによる修正も時間が掛かる。

伊達に歳をとっていない、という言葉の意味が、この彼の言葉で理解出来た。

  私達凡人も、そう。

若い時は、口に棘があっても、年齢で許して貰える。付け焼き刃でその場を乗り切ることも可能。

だが、皺もシミも目立つようになると、「そんなことも知らないの?」と馬鹿にされだす。

そこで、これでは恥ずかしいと勉強するか、萎縮して引っ込んでしまうか。

   火野正平は、お客さんの立場になって、自分というものを客観視出来たから、他人を歓ぶこばせて自分も歓ぶことをあたりまえにできるようになったのだろう。

   誰だって、歳をとる。

これは、美智子皇后だって、クレオパトラだって、私だって皆同じ。

だからこそ、歳を重ねて良かった生き方をしたい。

  周りの老若男女の言動を許して、ニコッと出来るのも、その一つではないかな。

皆様は、どんな歳を重ねていきたいですか?

 

 

 

 

 

 

おやじのせなか、から昭和の父像

 今朝、小島慶子の父の言動から、昭和の父像がくっきりと蘇った。

終身雇用で定年まで働き、自分の趣味もなく、生きていき、尽きた。

それは、かわいそうではなく、当時は当たり前の生き方だった。

   小島さんは、ご主人が突然会社を辞めて専業主夫になったことで、世の男性の自由でない生き方を痛切に感じるようになる。

家のローンを抱えて、子供を大学まで行かせる為に、毎日満員電車に揺られている。

しんどいなんて言おうものなら負け犬扱いされ、家では粗大ゴミなどと言われる。

そうだ。

昭和の父は、家族の為に戦った。

 

皆様のお父さんは、どんな方でしたか?

 

昭和の父の生き方は、平成の父像とは異質であり、ある意味、潔さと尊さを感じる。

どうか、長生きをして貰いたい。

 

人との出会いで気をつけること

もう、卒業式などの別れが始まっている。

子供の心身の成長と共に、思い出が交錯していることだろう。

   出会いも別れも、実は一期一会。

そのことを頭の引き出しに置いていたら、折々のことばで、こんなのを見つけた。

これも一つの出合いである。

御紹介する。

「最後にかわした言葉が心残りだった、ということにならないように」

これは、登山家の田部井淳子の言葉である。

   登山家の彼女は、家族がどこかに出かけるときも、まさかの事故の時のため、その日の服装をしかと脳裏に焼き付けるようにしてきたという。

胸が詰まるが、生きることは、それだけの緊迫感があるのが分かる。

   「じゃあ、またね」と手を振って別れる時に、作り笑いでなく、心からのいい顔でと決めた。

 

誰にでも必要な、じっと待つ優しい時間

 このブログではお馴染みの「まあいいか」。

女優・大竹しのぶのコラムである。

今回は、涙腺が緩んで

溢れた。

   障害者の青年が、自分の財布からお金を取り出し、レジで支払い、お礼を言って出ていくお話。

それを大竹しのぶの語り方そのままで、綴られている。

   最後に彼女のメッセージがあるので、ご紹介する。

「青年はいつか社会に出ていかなければならないだろう。青年のテンポを待ってくれない人もいるかもしれない。いまのこの国の情況の中で、支える側の運営も楽ではないだろう……。私は、あの青年が買ったクリームパンを母に食べさせたくなって、手に取った。」

   彼女と同じ気持ちである。

 

   慌ただしく流れていく日々の中で、忘れてはいけない人の心を思い出せるコラムを、いつまでも読み続けていきたい。

そして、彼女の文才と人としての優しさを、これからも噛み締めていきたい。

   まあいいかって生きていければ、幸せかな。

 

子供に立ち止まって考えさせる言葉掛け法

 本当に自分にとっての一大事は、じっくり向き合うこと、そこから逃げてはいけない。

と今は亡き蜷川幸雄先生は、娘さんにアドバイスされ、こう言われた。

「目の前の楽しさで気を紛らわせるよりも、こういうときにしか聞こえてこないメロディーとか辿り着かないこととかがあるのだから」

  娘さんは、この言葉で目が覚めたという。

大学受験に失敗して落ち込んでいる時、気晴らしに友達と遊びに行こうとしたようだ。

普通なら、そう言われても出掛けただろう。

が、流石にあの演劇家の父の子供である。

彼女は、立ち止まって考えた。

それがこの言葉で分かる。

その場だけ楽しんでやり過ごすのは絆創膏のようなもの。

そして、以後、凹んだ時は「これがあったからここに辿り着いたんだ」と思えるまで自分を掘るようになったと言う。

    改めて、親から子への心に響くアドバイスの重要性を思った。

第一人者になるには?

 いつも心底には、凡人に終わらずに第一人者になりたい、がある。

が、である。

なかなか、頭も中身も人並み故に、果てしない夢だなあとは分かっていた。

それでもその夢を忘れられないのは、何故だろう。

唯一、凡人と違うのは、ちょっと違う発想を持っていることかな。

感受性の鋭さで、心が傷ついて、生きてくことの困難さを知り、悶々と過ごした思春期。

大人になって、更に生きづらさを体感し、将来が見えなくなって、よく泣いていた。

それを全て負の要素と受け止めていた。

その意味も分からなかった。

が、逆に、こんな私だから、人の見えないことを見てきたから、凡人の出来ないことが出来るのではないか❓

   新聞で、日本コナモン協会会長の熊谷真菜さんが落ち込んでいた時に現在の関西大教授・永井良和さんに掛けて頂いた言葉を読んだ。

「誰もしていないことをすれば、第一人者になれる」

この言葉が、心に響いた。

よっしゃあ、私も第一人者になる。

彼女の笑顔に、心が弾けた。

 

祝★中村屋ファミリーを見て

約2時間のテレビ番組に釘付けとなった。
同じようにご覧になられた方もいたのではないかな。
歌舞伎俳優の中村勘九郎の二人の子供が名前を頂いて、初舞台を踏んだ。
七緒八君、5歳に哲之君、3歳。
まだまだやんちゃ盛りのお子ちゃま達だ。
彼らを見ながら、お父さんとおじさんの子供時代がダブってきた。
VTRで今は亡きおじいさんの若き頃がアップされ、歴史は繰り返されることが手に取るように分かった。
心にずしりと響いたのは、お父さんとおじさんが13歳と11歳の時に、おじいさん(父親)から「歌舞伎を続けていくのか?」と聞かれ、いくと答えている話だ。
そして、ご自身もこの2人の息子達への将来を思い、やる気があれば環境を与え、もしそうでない時には別の道を選べるようにさせてあげたいと考えていることだ。
歌舞伎の世界は、我々凡人のような生活ではない。
舞台が始まると学校生活も普通にはいかない。友達関係や勉強等、別の苦労が待っている。
しかし、生まれた時から特別なものを頂いているに違いない彼らだ。
これからも、成長を見守らせて頂きたいと切に思った。