思いの丈☆宅配便

書いて読んで繋がりませんか!

人との出会いで気をつけること

もう、卒業式などの別れが始まっている。

子供の心身の成長と共に、思い出が交錯していることだろう。

   出会いも別れも、実は一期一会。

そのことを頭の引き出しに置いていたら、折々のことばで、こんなのを見つけた。

これも一つの出合いである。

御紹介する。

「最後にかわした言葉が心残りだった、ということにならないように」

これは、登山家の田部井淳子の言葉である。

   登山家の彼女は、家族がどこかに出かけるときも、まさかの事故の時のため、その日の服装をしかと脳裏に焼き付けるようにしてきたという。

胸が詰まるが、生きることは、それだけの緊迫感があるのが分かる。

   「じゃあ、またね」と手を振って別れる時に、作り笑いでなく、心からのいい顔でと決めた。

 

誰にでも必要な、じっと待つ優しい時間

 このブログではお馴染みの「まあいいか」。

女優・大竹しのぶのコラムである。

今回は、涙腺が緩んで

溢れた。

   障害者の青年が、自分の財布からお金を取り出し、レジで支払い、お礼を言って出ていくお話。

それを大竹しのぶの語り方そのままで、綴られている。

   最後に彼女のメッセージがあるので、ご紹介する。

「青年はいつか社会に出ていかなければならないだろう。青年のテンポを待ってくれない人もいるかもしれない。いまのこの国の情況の中で、支える側の運営も楽ではないだろう……。私は、あの青年が買ったクリームパンを母に食べさせたくなって、手に取った。」

   彼女と同じ気持ちである。

 

   慌ただしく流れていく日々の中で、忘れてはいけない人の心を思い出せるコラムを、いつまでも読み続けていきたい。

そして、彼女の文才と人としての優しさを、これからも噛み締めていきたい。

   まあいいかって生きていければ、幸せかな。

 

子供に立ち止まって考えさせる言葉掛け法

 本当に自分にとっての一大事は、じっくり向き合うこと、そこから逃げてはいけない。

と今は亡き蜷川幸雄先生は、娘さんにアドバイスされ、こう言われた。

「目の前の楽しさで気を紛らわせるよりも、こういうときにしか聞こえてこないメロディーとか辿り着かないこととかがあるのだから」

  娘さんは、この言葉で目が覚めたという。

大学受験に失敗して落ち込んでいる時、気晴らしに友達と遊びに行こうとしたようだ。

普通なら、そう言われても出掛けただろう。

が、流石にあの演劇家の父の子供である。

彼女は、立ち止まって考えた。

それがこの言葉で分かる。

その場だけ楽しんでやり過ごすのは絆創膏のようなもの。

そして、以後、凹んだ時は「これがあったからここに辿り着いたんだ」と思えるまで自分を掘るようになったと言う。

    改めて、親から子への心に響くアドバイスの重要性を思った。

第一人者になるには?

 いつも心底には、凡人に終わらずに第一人者になりたい、がある。

が、である。

なかなか、頭も中身も人並み故に、果てしない夢だなあとは分かっていた。

それでもその夢を忘れられないのは、何故だろう。

唯一、凡人と違うのは、ちょっと違う発想を持っていることかな。

感受性の鋭さで、心が傷ついて、生きてくことの困難さを知り、悶々と過ごした思春期。

大人になって、更に生きづらさを体感し、将来が見えなくなって、よく泣いていた。

それを全て負の要素と受け止めていた。

その意味も分からなかった。

が、逆に、こんな私だから、人の見えないことを見てきたから、凡人の出来ないことが出来るのではないか❓

   新聞で、日本コナモン協会会長の熊谷真菜さんが落ち込んでいた時に現在の関西大教授・永井良和さんに掛けて頂いた言葉を読んだ。

「誰もしていないことをすれば、第一人者になれる」

この言葉が、心に響いた。

よっしゃあ、私も第一人者になる。

彼女の笑顔に、心が弾けた。

 

祝★中村屋ファミリーを見て

約2時間のテレビ番組に釘付けとなった。
同じようにご覧になられた方もいたのではないかな。
歌舞伎俳優の中村勘九郎の二人の子供が名前を頂いて、初舞台を踏んだ。
七緒八君、5歳に哲之君、3歳。
まだまだやんちゃ盛りのお子ちゃま達だ。
彼らを見ながら、お父さんとおじさんの子供時代がダブってきた。
VTRで今は亡きおじいさんの若き頃がアップされ、歴史は繰り返されることが手に取るように分かった。
心にずしりと響いたのは、お父さんとおじさんが13歳と11歳の時に、おじいさん(父親)から「歌舞伎を続けていくのか?」と聞かれ、いくと答えている話だ。
そして、ご自身もこの2人の息子達への将来を思い、やる気があれば環境を与え、もしそうでない時には別の道を選べるようにさせてあげたいと考えていることだ。
歌舞伎の世界は、我々凡人のような生活ではない。
舞台が始まると学校生活も普通にはいかない。友達関係や勉強等、別の苦労が待っている。
しかし、生まれた時から特別なものを頂いているに違いない彼らだ。
これからも、成長を見守らせて頂きたいと切に思った。

生きることの意味を麻央さんから知る

麻央さんのブログが更新されると直ぐに読みたくなる。
それは、なぜ?

私達は、朝起きて、ご飯を食べて、外出して…と全て当たり前にしている。
だから、それが出来ないことが分からなくなっている。

彼女の今日のブログには、食べることに3時間かけた、とあった。
思わず、胸が詰まって涙が出た。
その努力が、素晴らしいと頭と心で反応したからだ。

それと、忘れてはいけないのは、彼女のお子さん達だ。
れいかちゃんもかんげんくんも、毎日精一杯生きているお母さんの姿を見ている。
それはある意味痛々しくて見るには辛い姿かもしれない。
が、その姿を通して生きることの素晴らしさを肌で感じている。
きっとこの経験は、逞しさと優しさを兼ね備えた人柄を得ていくだろう。

麻央さんの生きる姿は、私達に生きることの本当の意味を教えて頂いている。
有り難いと感謝である。

人を知ることが、人生なり

折々のことばに目を奪われ、思わず、絶句した。
吉元ばななさん、の言葉が載っていたから。
それはこうだ。
「全部を満たす訳じゃないけれど、この部分だけはこの人が確実に満たしてくれるという人が無数にいてこその人生です」

人は片っ端の大人になると心で呟く。
自分は、この部分では誰にも負けない強みを持っている、と。
でも、歳を経て、社会に顔を突っ込み、色んな種類の人間と出会うと変わる。
自分と同じことが出来る人間はいるけれど、出来ないことが出来る人間は沢山いる。凄いや、と。
そして、分かる。
人は人に支えられて生きている。
よっしゃ、ならば、自分も人を支えてあげたいと。

自分という人間の未熟さを知ることで、周りの人間の良さも知ることが出来るのが、人生なのかな。

吉元ばななさん、それを気付かせてくれて有り難う。